大間のマグロ釣り
昭和二〇年代から三〇年代半ばにかけて、中学校を卒業するまで、田舎で育った私の遊び場所と言えば山や川などの自然が相手でした。振り返れば昭和二二、三頃から始まったベビーブームで、近所には同じ年頃の子供たちがたくさんいました。遊び相手には事欠かない時代でした。冬は凧揚げやコマ回し、ビー玉やメンコ(私たちのところではパンパンといっていました)に夢中になりました。
母に言われて山へ薪拾いにもよく行きました。電気炊飯器もポットも無い時代です。家からマッチを持ち出して、近くの小川の土手の枯れ草に火を点ける、これも子供の遊びの一つでした。
春から夏にかけてだったか、秋の頃だったか、思い出せませんが、友達何人かとクモを捕まえに山にいきました。捕らえるクモは決まっていて、私たちはシマコブと呼んでいました。シマコブは黒い胴体に濃い黄色の筋が横に2本あるクモです。捕まえるのは互いに戦わせるのが目的なのです。
クモは最初に見つけた者に所有権があって、誰もが目を光らせるのは、誰より速く大きくて強そうなクモを見つけるためです。
子供同士相撲もよくやりました。道路が舗装されるのはまだ何年も後の話ですから、土の上に棒きれで丸く線を引きます。私は「土俵の鬼」と呼ばれた若乃花のファンでした。吉葉山、鏡里、千代の山、栃錦、朝潮、そして若乃花などの人気力士は、メンコの表紙を飾っていました。
ラジオからテレビへと時代は移ります。力道山が登場します。
表題の「大間のマグロ釣り」は明日へと続きます。