朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

なつかしや月形龍之介

 里見浩太朗の黄門様を今は観ている。再放送である。その前は佐野浅夫だった。テレビ大阪で2話連続で放映している。

 BSでやっているのを観たのは西村晃の黄門様である。西村黄門様が終わって武田鉄矢の黄門様を観たが、どうも私の趣味ではなかった。好みで言えば西村黄門様である。

 

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」。石川五右衛門の辞世だそうである。てっきり江戸時代の人だと思っていたが、調べてみると安土桃山時代の人とある。

 見事な予言である。「浜の真砂は尽きるとも」だからすごい。なんとまあ大胆な予言であることか。

 ご存じ助さん格さんを伴って、日本各地悪人退治の漫遊記。「この紋所が目に入らぬか!」「へへーッ!」である。黄門様を初め大岡越前、遠山の金さんがテレビで人気になるのは当然だろう。

 巷には、なんと悪人の多いことか。5歳のチコちゃんもあきれるばかりである。大人になりたくないと思うのも、責任は大人にある。チコちゃんがそう思ってるかどうか、知らないけど。

 テレビの初代黄門様は東野英冶郎だった。知ったとき「えッ!?」と思った。私にとって印象深いのは『七人の侍』や『用心棒』の東野英冶郎だったからである。

 

 私が子供の頃の話だが、「黄門様」は月形龍之介のものだった。月形龍之介といえば東映時代劇にあっては主役の脇を固める重要な役だが悪役専門で、最後は斬られて死ぬ役が多かった。私の記憶にあるのは「忠臣蔵」の吉良上野介である。もうひとり、記憶にあるのは薄田研二という役者である。

 声が良かった。落ち着きのある渋い声で、声帯模写の桜井長一郎がテレビでよく真似てた。

 

  シリーズの作品数をウィキペディァで調べてみると14本あった。なかでも1954年から56年の3年間に10本作られている。内訳は4本、2本、4本である。あとの4本は57年から61年までの5年間に作られている。

 

 意外だったのはテレビである。1964年11月2日から1965年12月27日のほぼ1年2ヶ月の間に61話が製作放映されている。まさかと思って見ると、間違いなく黄門様は月形龍之介である。脚本 依田義賢とある。「なんんじゃこら!」

 

 子供の頃、そう簡単に映画館に行ける環境になかった私だが、この月形龍之介の黄門様を何本観ることができたのだろうか。

 あのころ、時折映画館の前を通ることもあって、館の見上げるところ架かった横長の大きな看板や、目の前のガラス戸の中に貼ってある何枚かの予告のポスターを眺めた覚えがある。

 あるいはまた、何日かに1回は通っていた町の風呂屋に架かっていたポスターを見て、それだけで我慢するほかなかった、ほうがほとんどだったに違いないと、月形龍之介黄門様の笑った顔と、あの声を懐かしく思い出しながらそう思うのである。