拝啓 倉本聰様
「ママン、倉本聰って、知ってる?」
「知ってるよ、徹子の部屋のあとにやってる、なんやったかな? あの番組」
「それそれ、『やすらぎの刻』」
「あれ書いた人やろ?」
「そうや。石坂浩二がやってる役が、モデルは作者の倉本聰やと思うんやけど、それはそれでええんやけどな、浅丘ルリ子とか加賀まりことか、また今度重要な役で出てはる橋爪功なんか年寄りばっかりが出てる場面はおもしろいんやけど、なんかおかしな展開になってからアラばっかり目立つ気がすんねん」
「なにが気にいらんの、おもしろいやないの」
「なにも気がつかへんか?」
「別に、ただ観てるだけやもん」
「まあ、それが一番ええんやろけど、気になるもんは気になるからな」
「どんなとこが気になんの?」
「石坂浩二の役は脚本家やからな、この人が考えてる物語がいまテレビでやってるやつやろ」
「それがどないしたん?」
「いや、それがどうや言うてるんやないなねん」
「それやったら、それでええやん」
「うんうん、それでええんやで。それはそれでええんやけど、あの物語はママンやおれなんかが生まれる10年も前の話やで」
「そうなん? 知らんかったわ」
「あの、まああの物語の中では主役の子ォやけど、あれ13歳やで、ということは小学校卒業したての中学1年せェやで、どうみてもあれ高校生の体格やで」
「そらその時代でも、大きな子がおったんとちゃうの? 知らんけど」
「そらおったやろ。けど友達みんなおっきい子ォばっかりや。おまけにませてるしな」
「言われてみればそらそうやけど」
「まあ、ええんやで。けどひっかかるんはこっちのほうや」
「こっちのほうて、なに?」
「話す言葉の中に『ヤバいヤバい』が入ってんねん」
「デガワも出てんの?」
「デガワって、あのやかましい芸人の?」
「そう、出てるん?」
「いや、出てない」
「ヤバいヤバい、言うてんのやろ?」
「いや別に、あいつがいつもヤバいヤバい言うてるからいうて、あいつが出てる、そんな意味やないねん」
「そしたら別に、なにもおかしいことないやろ?」
「いやあ、ママンやおれらが生まれるずっと前の話やで。そのころの言葉遣いで、ヤバいヤバいはないんとちゃうか、そういう話や」
「ヤバいて、昔からあるんとちゃうの?」
「いつのころからあったか知らんけど、おれらが子供の頃、ヤバいなんてだーれも遣うてなかったで。ママン子供の頃、聞いたことあるか?」
「憶えがないなァ?」
「そやろ? あれ普通に遣うようになったんはいつのころかは知らんけど、ここ10年かそこらやと思うで」
「そう、おかしいな?」
「訊いてみよ、思うねん」
「だれに?」
「倉本聰によ」
「なにを?」
「聞いてなかったんかいな。ヤバいはおかしいんとちゃいますか? ってことをよ」
「訊いてどーすんの?」
「いや、どーもせんよ。自分が納得するかどうかいうだけの話や」
「気にせんかったらええんよ。言われんでもそんなことわかって、ヤバい遣うてはる思うよ」
「そう、そらママンの言うとおりや思う。けどいま言うたみたいに自分の気持ちの問題やからな」
「それやったら訊いてみたら。住所とか電話番号知ってんの?」
「いや知らん」
「それやったらどーすんの?」
「このブログ、読んでもらうほかないな」
「1日に何人くらい読んではんの?」
「まあ平均したら3人か4人くらいやな」
「有り難いなーおとーさん、感謝しいや。私でも見てないのに」