朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

声に出して読む『ファーブル昆虫記』(幼年時代の思い出)ー5奥本大三郎訳

 小川のずっと向こうのほうには、ブナの木立があった。幹はすべすべして真っすぐで、円柱が立ち並んでいるようである。その堂々と張った枝の暗い茂みの中では、新しく羽毛の生え変わったハシボソガラスたちが、古い羽毛を引き抜きながらやかましく鳴きたてていた。地面は厚い苔に覆われている。

 このふかふかした絨毯の上に一歩足を踏み入れると、すぐにきのこが見つかる。まだ傘を開いていないために、まるで、放し飼いの雌鶏がうろついてきて、そこに産み落とした卵のようだ。

 それが、私の初めて採ったきのこだった。ぼんやりした好奇心から、どんな具合にできているのか知りたいと思って、何べんも指のあいだでくるくる回してみた最初のきのこだった。まさに観察する心の芽生えであった。

 

 そのうちにほかのきのこが見つかった。大きさも、形も色も違っている。きのこというものを初めて見る私の目にそれは、ほんとうに面白い見物だった。なかには釣鐘のような形をしたもの、蝋燭消しのような円錐形をしたものや盃形のものがあった。紡錘形にひゅっと伸びたようなもの、漏斗形にへこんだもの、半球形に丸まっているものもある。壊すと一種乳液のような汁を出すものを見つけたこともあるし、つぶすとたちまち青色に変色するものを見つけたこともある。大きなきのこで、腐るとぐじゃぐじゃに形が崩れ、蛆虫がうようよ湧いているのさえあった。

 そのほかにまた洋梨の形をしていて、かさかさに乾いており、頭のところに丸い穴がひとつ開いていて、指先で胴の部分をぽんぽんと叩いてやると、煙突のようにぽっぽっと煙が出る。これがいちばん面白いきのこだった。私はこのきのこをポケットいっぱいに詰め込んで、好きなだけ煙を吹かせてやった。すると最後には中身が空になって、火口のようなものになってしまうのであった。

 

 あの至福の森になんとたくさんの楽しみがあったことか。初めてきのこを見つけたときから何度あの場所に行ったことだろう。あの木立で、ハシボソガラスの声を聞きながら、私はきのこについて初めて学んだのであった。

 しかし私が見つけたきのこは、当然ながら、家に持って帰ることは許されなかった。きのこは私の地方ではボウトレルと言っていたのだけれど、悪いものとされていた。毒があって中ると死んだりするというのだ。

 私の母はよく知りもしないくせに、あたまからきのこを毛嫌いして食卓には載せなかった。見かけはこんなに可愛らしいのに、なんでそんなに悪者扱いされなかえればいけないのか、私にはまったくわからなかった。でも結局のところ、私は経験からくる両親の言葉に従ったので、舐めたり食べたりするような、うかつなことをして酷い目に遭うことはなかったのである。(つづく)