朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』ー28

 お釈迦様が蓮池の底にご覧になったのは、血の池で浮いたり沈んだりしております現世ではなにひとつとして善いことはしたことがないという、極悪人のカンダタという男でございます。

 ところがこの悪人、生涯でただひとつだけ善いことをしておったのを、なんのはずみかお釈迦様は思い出されて、その善行に報いてやろうと蜘蛛の糸を蓮池から地獄の底へするすると、するとその糸は、カンダタの目の前に、ということでカンダタ、「シメタ」とばかりその糸に取り縋って登り始めます。カンダタ、地獄からのエスケープが成功すれば極楽のゲートは目の前、いままでの苦労も報われるというもの、そういう身勝手な希望の光も感じられてより一層腕に力がみなぎってまいります。

 そして、かなり高いところまで登って、もうここまでくれば大丈夫、とばかり手に持ちました蜘蛛の糸をくるくると身体に巻き付けますと蜘蛛の糸から手を離して一休み、そうして何気なく下を見下ろしますと、こはいかに! カンダタが先ほどまで入っていた血の池から蜘蛛の糸を伝ってぞろぞろ、ぞろぞろ、アリの行列よろしく亡者の群れが続続と連なって登って来るではありませんか。

 さあ、えらいこっちゃとカンダタ、「降りろ! 降りろ! 糸が切れる!」。無理もございません。細い細い蜘蛛の糸でございますから。もしわたしがカンダタだったら、きっと同じようにそう申したでしょう。

「降りろ! 降りろ! 糸が切れる!」。カンダタの必死の叫びもむなしく、蜘蛛の糸カンダタの予言通り目の前でプッツリ、切れてしまった、というわけで・・・・

 誠に僭越ではございますが、と老人が申します。閻魔大王様、お釈迦様ほどのお偉いお方が偶然たまたまとはいえ、カンダタのような大悪人を救ってやろうとお思いになったのはわたくしごとき凡人凡夫には到底理解できないことだとは思います。と申しましても、凡人は凡人なりに、また凡夫は凡夫なりに思うところがございます。

 そこで、僭越ではございますが、閻魔大王様にお尋ね申し上げたいのは、お釈迦様がカンダタを助けてやろうとお思いになる前に、事の顛末、ああしてこうしてこうなれば結果はこうなると、お思いにならなかったのかと、ラジオを聴いあとに思ったのでございます。

 正直に申し上げます閻魔大王様、思ったことはもうなかったこととするわけにもまいりません。慈悲深いお釈迦様のことですから、カンダタをお救いになろうとお考えになったことは、ただ一度だけ善いことをしたからということがその理由になっておりますが、わたくしは、それ以上にもっと深い意味があったのかも知れない、とも考えたのですが、到底わたしごときにわかるはずもございません。

 というようなわけで閻魔大王様。カンダタの一件はお釈迦様のお慈悲の心が無駄になったという口惜しさも手伝いまして、ついわたしには関係のないことですが恨み言のひとつもと手紙を書いてしまったのでございます。

 ここまで言いおえますと老人は、続けて、お釈迦様に思いも掛けぬ罰当たりの手紙を書いたことのお詫びを、閻魔大王からお伝え願えないかと、さきほどのうろたえようとはえらい違いの厚かましさでお願いしたのでございます。(つづく)