朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

想像力

 「いま仮に、コップ一杯の水の分子にすべて目印をつけることができたとします。次にこのコップの中の水を海に注ぎ、海を十分にかきまわして、この目印のついた分子が七つの海にくまなく一様にゆきわたるようにしたとします」。さてどこかの海辺で再度コップ一杯の水を汲むむと、中に目印をつけた分子はいくつ入っているでしょう?

 

 以上は、福岡伸一動的平衡「コップ1杯海に注いだら」の最初の一部をを転記したものですが、上記に続けて「これは物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの著書『生命とは何か』の冒頭にある記述。」とあります。

 

 さて答えですが、「約一〇〇個」、だそうです。

 これを読んだとき私は最初、もし水の分子ひとつひとつに赤でも緑でもいい、いろいろな色をつけたら、コップの中で浮遊する百個の水の分子が見られてきれいだろうなと思ったのですが、しばらくしてそれが間違いだと気付きました。きっとそのひとつひとつを私の目が捉えられるはずがないと気付いたからです。水の分子の大きさがどれくらいか、重さは? と例え問われても答えようがありません。ごま粒の何万分の一とか何十万分の一とか、知識として答えることは可能でしょうが、その大きさを想像することは不可能です。

 地球上にある海水のすべてがどれくらいあるのか、これもまた私には想像することができません。例えば分かりやすいようにと、一〇万トンタンカー何隻分の重量とか容積とか言われても、これもまた私の想像力では太刀打ちできません。その前にもうひとつ分かりやすい例として、一〇万トンがバケツに何杯分に当たるのかという、バケツ一杯分の水の量や重さは想像できますが、一〇万トンがバケツ何杯分に当たるかというその答えを出すのは計算すれば分かる事でしょうが、その答えが分かったところでそのバケツの数の多さを想像できないと思います。私でも理解できる想像力とは、つまるところ私目の届くわずかな範囲だということです。