朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

ごまめの歯ぎしりからカゴメカゴメ

 夜中の3時頃目が覚めてトイレに行った。あとなかなか寝付かれない。これはいつものことで心配しない。敷き布団と毛布の間に挟んでいる電気毛布の電源スイッチを入れる。目盛りはと、5くらいでいいかな。

 ふと、「ごまめの歯ぎしり」という言葉が浮かんだ。ごまめの歯ぎしり、ごまめは歯ぎしり、ごまめが歯ぎしり、ごまめを歯ぎしり、ごまめに歯ぎしり、ごまめと歯ぎしりごまめも歯ぎしりと、これをラップ調でやったらどうかなと、2度3度と繰り返す。もちろん頭の中で。ひとりだったら分からないが、隣の布団に妻が眠っている。

 それがいつか「カゴメカゴメ」になった。かごの中の鳥はいついつ出やるという、わらべ歌である。

 今はもう、幼稚園でも行って先生にお願いしなければ見ること叶わずだろうけれど、私の子供時代、いまから65年ほど昔の話だが、まだ女の子の遊びとして生きていた。

 ふと、ひらめいた。カゴメカゴメは、屈む屈むのカゴメなのだ。「メ」だから命令してるに違いない。女の子数人が手をつないで輪になって、その真ん中でしゃがんだ女の子がひとり、両手のひらで顔を覆っている。

 かごの中の鳥はこの女の子に違いない。目隠ししてるところを見ると、目の見えない鳥だろう。

 歌の中に、夜明けの晩という歌詞があるけど、これは矛盾する。この歌詞のあとは、鶴と亀が滑ったとあるけど、これにはどんな意味があるのか? 後ろの正面? これは矛盾するのか? しないのか?

 かごの中の鳥は、「いついつ出やる」。「夜明けの晩」を矛盾としたことが頭に引っかかって、一生出られないなと、悲観的になる。

 ラップの気分もどこへやら。

 いつの間にか眠っていて、目覚めてとき、枕元の目覚まし時計は5時前だった。