朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

ファーブル先生

「われわれはいわば、ひとつの社会のなかで次々に脱皮してゆく幼虫であり、醜いイモムシなのであって、ゆっくりと、実にゆっくりと、法が力に勝る世の中に向かって歩みを進めているのだ。こうした志高の変態は、いったいいつ完了するのであろうか。         

 われわれがこの野獣の荒々しさを脱するには、南半球の海に集まっている巨大な陸塊が押し寄せてきて、褶曲などによって大陸の表面が変化し、トナカイやマンモスの氷河期がふたたび来るのを待たねばならないのであろうか。おそらくそういうことになるであろう。道徳の進歩というものはそれほど歩みの遅いものなのだ。」

 『ファーブル昆虫記』第9巻・上「コガネグモの財産」(奥本大三郎訳)より

 

 『ファーブル昆虫記』を読み始めてから足かけ4年になる。1冊がほぼ400ページで20冊。子供の頃に身近だった昆虫のことを思い出してこの本を読もうと思い立ったのだが、こんなにあるとは思いが至らなかった。図書館に予約を申し込んで初めて手にしたのが2015年の11月14日。残り3冊と60ページ。年内に読み終えるのが今年の目標である。

 

 ためいきが出る。

 ファーブル先生もおっしゃっているように、私たち人間は法が力に勝る世の中に向かって歩みを進めているのだろうか? それもゆっくりと、実にゆっくりと。

 しかしそのゆっくりも、氷河期を待たねばならないという桁外れのゆっくりさで、ファーブル先生も「おそらくそういうことになるであろう」とおっしゃる。

 こうなるともう、法が力を完全にコントロールするのは不可能である。

 昆虫と人間。賢いのはどっち?