朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

「貧乏・貧困」について考える

 私の家は貧乏だった。白米だけのご飯は正月と運動会のときくらいではなかったか。運動会、この日は母が巻き寿司を作る。いつもの米麦半々で炊いたものでは、うまく寿司が巻けなかったのかもしれない。重箱には卵焼きも入っていた。

 なにをもって貧乏とするか? 個々各人によってそれぞれ基準はあるだろうと思うが、私はかつかつでも日々なんとか食いつないでいければ、それは貧乏とは言わない、そう思うようになった。

 

 何度も観た映画に『切腹』がある。

 若い頃は、浪人・仲代達矢と家老の三國連太郎の互いに腹の内を探りながら距離を計るような心理劇や、その後の丹波哲郎やほか二人との決闘がこの映画の面白さだと感じていたが、それだけじゃない、この映画にはもっと大きなテーマが隠れているじゃないかと気付いたのが貧乏(貧困)である。

 隠れていたわけではなく、私が気付かなかっただけである。

 

 武士の誇り・魂はその腰に差した「刀」にある。心ならずも浪人になった仲代達矢演じる津雲半四郎とその娘美保(岩下志麻)と、その婿である千々岩求女(石濱朗)。

 背に腹は代えられぬ。食わんがために刀を質草にして腰には竹光の求女と、どんなに貧乏しても武士の誇りにこだわり刀を手放そうとしない義父の半四郎。

 映画はこの武士の誇りへの執着が悲劇を生む。

 結果、美保と求女、その生まれてまだ間が無い3人が死に、半四郎も壮絶な死を遂げる。

 

 74歳朝ぼらけジジイは、朝昼晩3度のご飯が当たり前のように食べられる幸せを感じている。