朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

あおり運転について一言

 ひとりの若者が、あおり運転の犠牲になりました。バイクで走行中のことです。

 テレビで事の顛末を観ていて、これは明らかに殺人だと思いました。番組に見るいつもの顔ぶれの方々の議論は、「加害者に殺人の意図があったかどうか?」に焦点を合わせたものでした。

 この議論に違和感を感じましたので、自分の考えをまとめてみたいと思います。

 もちろん「殺人の意図云々」は大事なことなので議論を尽くすのは当然のことでしょう。しかしこれは、加害者がその意図は無かったと言えば、「あった」と立証することは不可能に近い。客観的に見て明らかに殺人である、と思っていても断定は出来ないもどかしさを感じます。

 この加害者に対して私が感じるのは「卑怯者の残忍さ、ずるさ」です。まるでカネやタイコをドンドンガンガン鳴らしてウサギや狐を狩るように、後方から猛スピードで接近してクラクションやパッシングで威嚇する、これは「人間狩り」以外の何ものでもないと強く思うのです。

 しかも被害者は車を運転しているわけではなくバイクです。言わば車と比較するとバイクは弱い立場です。猛スピードで追い立てられ、転倒すればどうなるか加害者も予見できたはずです。

 私がこの加害者を卑怯だと思うのはバイクに対する車の優位さを利用するずるさと、自分の顔も名前も隠したまま追い立てるという、匿名性と残忍さを感じるからです。

 私は、これはとくに目新しいものではなく普通のことだと思うのですが、人が人に対して、とくに強者が弱者にたいする理不尽な行為、面白半分に人の命を弄ぶような行為は見逃すことなく、厳しく断罪すべきだと思います。

 すくなくとも法律は、「加害者に殺人の意図があったかどうか」より、このような残忍な仕打ちで命を落としたご本人とご家族の「無念さ」に多くの目を向けてください。