朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』-3

「もしもし」

「アッ、モシモシ」

「なんじゃこりゃ! えらい声やな、このキンキン声は。あかん、鼓膜がキーンいうてる。ドナルド・キーンやがな」

 電話をおかけになったのはお釈迦様で、お釈迦様は思いがけないことに出会いますとつい、関西弁になるというクセがございまして、

「もしもし、わし釈迦じゃが、閻魔大王くんはおいでかな」

「わししゃかじゃが様でいらっしゃいますか、申し訳ございません、ただいま、大王様はお出かけになっております」

「(ほんまに、えらい声やな。受話器50センチも離してこの声やから、直に耳に当ててたら脳が溶けてしまいそうな声やで。おまけにわしの名前、間違うてるがな)もしもし、わししゃかじゃがではない。わたしの名前は釈迦じゃ」

「アッ、大変シッツレイをいたしました。しゃかじゃ様でございますね。どういたしましょう、大王様が帰っておいでになりましたら、折り返しお電話を差し上げるということでよろしゅうございますか」

「いやいや、けっこう。こちらからかけ直しましょう。ところでキミ、聞き慣れない声じゃが、どなたかな」

「ハイ! このたびこちらで、閻魔大王様の秘書として採用していただきました黄鬼のキー子と申します。末永くよろしくお願いネ」

「(なにがネやねん。急になれなれしくなりやがって。いまの若い女の子は油断も隙もないな)。もしもし、末永くは余計じゃが、キミ、黄鬼のキー子くんいうんか。なるほど、名は体を表すというが、ところで、以前いた青鬼のなんとかいう秘書くんはどうされたのかな」

「ハイ!! 青枝さんでございますね」

 キー子のもう一段オクターブの高い声にあわててお釈迦様は腕いっぱい受話器を遠ざけられ、受話器を持つほうの目をきつく瞑られたのですが、そこはそれ、なんと申しましても慈悲深いお釈迦様のことですから、伸ばした腕はそのままにキー子の話をお聴きになります。

「青枝さん、お辞めになりました。よくは存じませんが、よくチョンボをなさるかただったようで、そのたびに、大王様のお叱りを受けておいでだったとうかがっております。なんでも、もともとは青枝さん青空のような明るいおかただったそうですが、いろいろとチョンボが重なってまいりまして、大王様のお叱りも度重なるという、そうなりますと青空のように明るかった青枝さんも、次第に顔色から明るさが消え、次第に青黒くなって、こうなりますともうお化粧の施しようもなく、お辞めになるときはもう、黒鬼と見間違うほどだったとか、そううかがっております。それでとうとう・・・」

 よくは知らないと言いながらも、まるでそばで見ていたようにぺらぺらとしゃべるキー子でございます。言葉とは裏腹にいかにも楽しそうで、お釈迦様も話の途中で電話をお切りになったという次第。

 やがてその日の夕方になりまして、お釈迦様はふたたび閻魔大王に電話をおかけになります。昼間の、あの黄鬼のキー子のキンキン声に懲りておられますので、用心して受話器を耳から30センチばかり離して身構えておられます。ところが、受話器の向こうからは「できる男はキャリーだぜ」でおなじみの菅原文太兄ィのようなドスのきいた声が返ってきます。