朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

今日の『おしん』

 敗戦前の1年か2年まえほどのころの話。

 おしんの夫・竜三は陸軍に魚などを納入する商売をしていて、しかも町内会の会長でもある。戦局ますます厳しさを増す折り柄、世間は日々の食料にも事欠く始末。

 そんななか、町内会のある家で娘が病気になる。気の毒に思ったおしんがお見舞いにとタマゴなどいくつかの品を風呂敷に包んでその家を訪れる。ところが、出て来た母親に玄関前でさんざん嫌みを言われた挙げ句、玄関戸をピシャリと閉められる。

 夫・竜三が軍関係の商売をしている上に町内会の会長であるから、食料品に不自由はしてないだろうと、この母親はそんな目で竜三・おしんを見ていたのである。ひがみとかねたみとか、そんな感情だろうと思うが、そんなところからは意地でも施しは受けないということだ。

 おしんは風呂敷包みを抱えたまま悄然と家路に、という場面。

 

 急展開。我が家のことである。

 昭和20年代後半から30年代初めのころの7、8年のあいだのこと。

 わたしの小学生時代から中学生までのあいだ。わたしは5人兄妹の長男。

 熊本県のある田舎。師走。

 27日ころからあちこちの家から餅つきの音がぺったんぺったんと聞こえる。

 我が家ではその目途も立たず餅つきはとても無理な様子。

 そのころ近所にアメリカ帰りのご老人Nさんがいた。アメリカの年金で暮らしているとも聞いたように思う。何度か散歩の途中を見かけたことも憶えている。浴衣がけに革靴といういでたちで。奥さんはおられたかどうか、見かけたことはない。 

 そのNさんが、どこでウワサを聞いたか餅をプレゼントするという。

 父は烈火のごとく怒った。戦前は表札の名前の上に『士族』と書いたという家系である。武士は食わねど、である。

 余談だが、父の才覚、どこでどんな工面が施されたのかは子供だから知らないが、翌日か翌々日かに、我が家でもぺったんぺったんの音が響いて無事正月が迎えられたのである。餅の食べ過ぎで消化不良を起こし寝込んだことも今は思い出である。

 これも余談だが、「貧すれば鈍する」ということわざをつくづく実感したのは映画『切腹』である。

 もうひとつ余談を。いまのわたしだったらNさんからのプレゼント(施しだが)を有り難く頂戴しただろうと思う。