朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』ー53

 我も我もと、地獄旅への熱烈な希望者がお釈迦様のもとへ雲霞のごとく押し寄せてまいります。その数38億人。天上界の住人すべてがその希望者ですからもう手の施しようもございません。というて、参加者はだれとだれ、と選ぶわけにもまいりませんから、お釈迦様は最後の決断をなさいます。

 というようなわけで、この度、と申しましても初の、ということになりますが当のご本人のお釈迦様、それに地獄参りを申し出ましたお地蔵様ともうひとり、黄鬼のキー子が、里帰りも兼ねて案内役を勤めるということに決まりました。キー子は、お釈迦様が閻魔大王と連絡をお取りになったときに、大王のたっての希望もあって参加ということになったのでございます。

 余談でございますが、地獄参りの話が争いもなくこのように落ち着きましたのは、盆・正月と春・秋のお彼岸のころと、1年に4回、ツアーを組んで地獄参りを行うことがお釈迦様の発案で決まったからでございます。

「負うた子に教えられ」とことわざにございますが、お地蔵様の話に感銘をお受けになりましたお釈迦様、みずから地獄へ赴いてカンダタに会ってみようと思い立たれ、なぜそこに気づかなかったのかと反省とともに深く納得されたのでございます。これまで心のなかでわだかまっていた悩みが、霧が霽れるようにすっきりとお心を軽くしたのでございます。

 さていよいよ準備万端整いまして、地獄へと旅立つそのときがやってまいりました。お釈迦様ご一行お見送りのため、天上界すべて38億という住人が蓮池のまわりをぐるりと取り巻いております。色とりどりの紙テープを用意して、まもなく出立というお釈迦様、お地蔵様ともうひとり、黄鬼のキー子のそばにぴったりと寄り添っております。

 蓮池の水はいつもと変わらず柿田川仁淀川、またスイスのヴェルツァスカ川のような透明度で満々たる水をたたえて、雲ひとつないブルースカイを映しております。

 その蓮池のほとりで、お釈迦様は、小説『蜘蛛の糸』にありましたように、蓮池の底の遠くに見える地獄へと糸を垂らすべく蓮の葉の上に蜘蛛をお捜しになります。ところが生憎と蜘蛛の姿はどこにも見当たりません。「これでが地獄へはいかれへん」と少しお困りのご様子で池の水をご覧になったとき、これまで青空だけを映しておりました水面にひとつ、丸い綿のような雲が映っているのにお気づきになったのでございます。

 するとお釈迦様は空を見上げ、朗々と歌い上げるように

 おうい雲よ

 ゆうゆうと

 馬鹿にのんきさうぢやないか

 どこまでゆくんだ

 磐城平の方までゆくんか

 と、おっしゃって手招きをされたのでございます。

 さて、お釈迦様から手招きをされた雲はと申しますとなにがなにやら意味が飲み込めずに「ン?」といった表情を見せ、口にはだしませんが「なにょ言ってやんでェべらぼうめ。どこまでゆくんかァ? ジョーダンじゃねえやい、たったいましがた関東の方から流れてきて一服してるところじゃねーか。なにょ言ってやんでェべらぼうめ」と心のなかで悪態をついております。(つづく)