朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

嘘つきは泥棒の始まり

 私は嘘つきである。枕詞に「自他共に認める」と付けたいくらいだが、友人に「オレのこと嘘つきやと思う?」と訊いたことはないので今のところ自覚しているのは自分だけやな、と思っている。といって、友人に尋ねて「なにを今更言うてんねん!」と間髪を入れず返ってきそうな気もするので「自他共に認める」を枕に置いておいてもいいかな、とも思い直している。

 嘘をつく、嘘を言う。どちらを使っても構わないが、本当のこと言うのに「つく」とは言わない。何故だろう。「あんた、ほんまのこと言うてはるわ」はあっても「あんたほんまのことついてはるわ」はない。

 ふたりが顔と顔を見合わせて片方が片方に「オレの顔見てみい、どや、この顔が嘘をついてる顔にみえるか」、なんて言われても、そんなに甘いもんやない。「そうか、顔じゃあかんか。しゃあない、オレの目ェ、見てみィ、なあ、これでどや。目は心の窓言うやろ」

 思わず吹き出してしまう。にらめっこなら完敗である。

 

「嘘つきは泥棒の始まり」という。子供の頃よく耳にしたものである。となると私は泥棒の予備軍ということになる。糖尿病の予備軍、高血圧の予備軍、思いつく予備軍にあまり芳しいものはない。

 他人のものを盗む行為あるいは盗む人を「泥棒」というが、なぜ泥棒なのか? 泥と棒だよ。なんの関係があるというのだろう。

 

 虚偽、隠蔽、改竄。テレビや新聞紙上でこの文字や言葉を見たり聞いたりしない日はない。といって、これだけ「目にタコ耳にタコ」状況のこれらの文字を「書いてごらん」と言われて書けないのは自分だけだろうか。

 漢字に対して偏見を持つのはあかんことやろなと思うけど、改竄の「竄」なんて見るからに不気味な気がして顔をそむけたくなる。近づくとタタリがありそうな気もする。

 

 冒頭に、私は嘘つきであると書いたが、やはり間違ってなかった。まだ泥棒は予備軍だと書いたがこれも嘘で、すでにやっていた。

 大人になってからでも拾ったお金を着服したこともあるし、子供の頃はよその畑にこっそり忍んであれこれの根菜類を黙って頂戴した。柿、イチジク、などなど。

 ブログに載せるのはここまでである。これ以上の告白は拒否したい。時効を盾に虚偽、隠蔽、改竄を希望する。