朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

浦島太郎についてあれこれ考える

 夜中に目が覚めて2度トイレに行った。だいたい3時間ほどの間隔である。

 3度目に目が覚めたとき、ママンがなにか言った。

 ママンはここ数日体調が優れなかった。おかゆがやっとという状態で、いつものママンとは様変わりだったが、やっと声に張りが出てきた。なに? と訊いた。

「鼻かんだら」とママンが言った。

「大丈夫や」と私。

 軽いアレルギー性鼻炎のある私が、鼻をグズグズやっていたらしい。しかし私は「玉手箱」のこと考えていて気付かなかったのだ。

「なんで開けたんやろ?」とママンに訊いた。

「えッ? あけたって何を?」

「そやさかい、なんで開けたんやろな」

「なんであけたって、何をゥ?」

「玉手箱」

「それやったらそうと言わんと、分からんやろ」

「あれ、乙姫さんから『開けたらあかん』言われてたんやろ。そんなもん貰うて、どないするんやろ? 『いらん』言うて断ったらええのに。日本人じゃ無理か『NO!』、よう言わんからな」

「断ったらよかったのに。おじいさんになったわけやろ」

 

「歌にはあるからな。『か~える途中の楽しみは~土産にもらったたまてばこ~』言うてるけど・・・『開けたらあかん』言われてるのに、なんで、『か~える途中の楽しみは』なんやろ?」

 

 考えてみたらケチの付け所がいくつかある。子供の頃はなにも考えず「ふーん」と聞くだけだったが、74歳ともなるとそうは甘くない。

 といって、海の底に竜宮城なんかあるわけないやん、どないして浦島太郎が潜水具もなしに海の中に入れるんや、などの野暮は言わない。

 けど、「助けた亀に連れられて」やからな。てっきりいじめられていた子亀の父親が太郎を迎えに来たとばかり思っていたのは、うかつやったな。

 それなら、亀の成長のスピードはどれくらいで大人になるかわからんので、いい加減な目安で、15年後として、「あのとき助けてもろうた亀です。お迎えにあがりました」言われても、太郎やんはピンとくるやろか。

「えッ? お迎えて、どこ行くの?」

「はい、竜宮城という、デズ二ーランドみたいなところが海の底にございます。そこには乙姫様というへプバーンみたいな妙齢の美女がおりまして、かくかくしかじか、助けて戴いたいきさつをお話しますと『それならわらわも是非お目にかかりお礼を申し上げたい』というわけでお迎えにあがりました」

「ヘプバーンみたいて、どっちの?」

「えッ? なにをおっしゃってるんですか?」

「かめへん、かめへん。どっちでもええねん・・・けどオレ、釣りはええけどもぐり苦手やねん、やっぱりやめとくわ」

「大丈夫です。これから私が呪文をかけます。そうすると海中でも自由に呼吸が可能です。アブラカタブラー」

 というようなわけで浦島太郎、助けた亀の背中に乗せてもらいます。けど、肩に担いだ釣り竿はいらんやろ。

 デズ二ーランド、子供がまだ子供だった頃、家族で1回だけ行ったことあるけど、毎日となるとどうやろ。「遊びに飽いて」ということになるのかな。

 

 浦島太郎、玉手箱脇に抱えて、亀の背中に乗って還って来たはええけど、津波予防の国土強靱化計画が完了して、日本国中の海岸線はコンクリートの見上げる壁で遮断されていた、なんて。