ちょっと、食べ過ぎた
「昨日のモチやな。今年の正月用に買うてあったモチ、ママンが出掛けてるあいだに残ってる3ツ、もったいないから思て焼いて、醤油モチにして味付けのり巻いて食べてしもうたんがあかんかったんやな」
「意地汚いことするからや、おとーさん。そないにあわてて食べんでも大丈夫やて。冷凍してたらナンボでも保つのに」
「そうか? まあなんともなかったんで、そういうことやろけど、冷凍してたからいうて安心してたらあかん、言うてたで」
「そら物によるわ。モチは大丈夫や。食べ過ぎた、思てるだけやろ」
「そやな。朝も普通に食べたしな。歳とってから暴飲暴食はあかんいうけど、オレ、暴飲はせんからな」
「飲まれんからな」
「モチ3ツやから暴食でもないけどな」
「けど、食べ過ぎた思てるんやろ」
「それやったら暴食になるか」
「なると思うよ。知らんけど」
「もったいない思てな。子供のころ、ひもじい思いしたんがまだ残ってるんかな」
「これだけ食べられるようになっても、しゃあないな。それやったら、昼はやめとこか?」
「いや、食べる。なにするか、もう考えてる」
「ほんまにもう」
ダルマストーブの思い出
「電車のなかで、ストーブ焚いてるわ、あんなことあんねんな」
「ああ、あれ石炭かな。みたいやな」
「津軽鉄道、言うてるわ。青森やね」
「そやな。ダルマストーブ、いうんかな」
「暖房ないんかな、電車のなか」
「どうなんやろ。あれが『売り』なんかな」
「あんなんにあたったことないわ」
「オレ、子供のころな、家が駅前にあったやろ。それで、イナカやろ。駅舎のなか、駅員さんがおるところに勝手に入って、ストーブの火にようあたったもんや。ストーブの横手の土間んとこに石炭がちょっとばかり山の形に積んであって、勝手にスコップですくうて、燃やすんや。そや、スルメ焼いたりモチ焼いたりもしてたな」
「そんな勝手なこと出来たの?」
「イナカやからな。駅長さんと駅員がふたりくらいの小さな駅や。いまはもう鉄道廃止になって何十年にもなるけどな。近所の人もちょくちょくあたりに来て、まあ、ああでもない、こうでもないいうハナシをして、ちょっとしたオトコの井戸端みたいなもんやったな。駅長さんが、ツガワさんいうてな。名前がタテキさん。名前まで憶えてるんは、あれやろな、子供のときの記憶はなかなか消えへん言うやろ。ムスコが3人、オトコばっかりの3人や。ふたりがオレよりふたつとひとつ歳上、オトンボのケンちゃんがオレよりひとつ歳下で、長男のセンユウちゃんが釣りなんかよう連れて行ってくれたな。みんなやさしいてな。いつもニコニコしてるんが記憶に残ってるけど、お父さんお母さんが、いつもニコニコしてはったからな」
「ふーん、ええ思い出やね。けど、子供が駅員さんのおる部屋に勝手に入ってストーブにあたるなんて、いまやったらなに言われるか」
「そやなあ。ええ時代やったんか、たまたまやったんか。ママンの故郷フランスではどうなんや」
「それはええねん。わたしが旅行でフランス行ったからいうて、おとーさん、わたしをフランス人にせんとって」
「訊かれて、フランス人です言うたほうがカッコええ思うで」
「だれも信じへんわ」
年の暮れに見たユメ
「初夢やったらよかったんやけど、もう早々と見てしもうた。らしいかどうかわからんけど、まあ初夢を年末に見た、いうことにしとくわ」
「どんなユメ見たん? おとーさん気が早いからな」
「なんでもスピード時代やからな。歳も歳やし。初夢いうてゆっくりもしとられん。いまのうちに見とかんと、年内もつかどうかわからんからな」
「アホなこと言いな。そないなことばっかり言うてたら、バチ当たって、ホンマになるで」
「ホンマやな。黙っとこ」
「ユメのハナシ、どないなったん」
「キムジョンウン、知ってるやろ?」
「北朝鮮の? 知ってるよ」
「あの人のユメ見た」
「めずらしいな。いま人気やから」
「まあ、人気いうてええかどうか、わからんけどな」
「そしたらどない言うの?」
「まあ、人気でもええけどな。悪名高き人気もんということにしとこか」
「そないな言い方、聞いたこともないわ」
「それがな、ええ人になってはるんや」
「だれが?」
「ジョンウンさんがよ」
「ホンマかいな」
「ユメやからな」
「ええ人て、どないなったん?」
「東京証券取引所、知ってるやろ?」
「証券取引所って、株のこと?」
「そうそう。そこで株式の新規公開をやってんねん」
「だれが?」
「言うたやん」
「キムジョンウン?」
「そうや。それをテレビでオレが観てる、そんなユメや」
「よう、そないなユメ見たな。アタマんなかどうなってんの」
「どうなってんのって、オレも見たことないからな」
「ユメはそれだけ?」
「いや、キムジョンウン、鐘カンカン鳴らして、回りのもんが手ェパチパチ鳴らして、ご本人は満面の笑みや」
「ふーん。なんか、そないなこともあるんやろか?」
「ユメや、言うてるやろ。その後、取引所ビルのバルコニーみたいなとこにアベさんとふたり手ェつないで、バンザイしてはんねや」
「へええ、なんかオモロイな」
「そやろ。ところがな、株のほうはえらい人気でなかなか値がつかんのや、それが何日もな。値幅いっぱいの
「食べるもんの食べんと、頑張ってはるらしいな。ニュースで言うてたよ」
「それでな。テレビのインタビューに答えて、株式を新規公開したんは、このおカネで国民を豊かにするんが目的や、言うてな」
「えらい、ええ人になってはるやん」
「そやろ。年の暮れに見たユメやけど、初夢いうてもええんとちゃうか」
「そうなったらええけどな」
「そやな」
年の瀬寸感
「年の瀬とはうまいこと言うたな」
「なんのこと?」
「いやあ、瀬いうたら、川なんかでも流れの速いとこをいうやろ。師走とも言うくらいで、なんか後ろから押されてるみたいで、せわしないな」
「ほんまやね。あっちこっちのスーパーやデパートのチラシもようけ入ってて、オセチ料理の品評会やってるわ。行かんかったらええんやけど、そうもいかんさかい行ったら行ったで、ついつられて、あれこれいらんもんまで買うてしもうて、明けてからあと何日も冷蔵庫で食べられるんを待ってることになるんやけど、毎年、あないな気持ちになるんはなんでかな」
「言やあ、シアワセ言うことやろけどな。なんでもある世の中やからな。ゼータクをグチってるわけやろな」
「おとーさん仕事はいつまで?」
「29日や。30日から3日まで休み」
「そお。わたしまだお餅買うてないわ。毎年買うとこの、杵つき餅の店に30日に行ってくるわ」
「そうか。それやったらオレ、散らかってるとこ片付けとくわ」
というようなわけで、アッという間に年の瀬はおろか3が日も終わるのであります。
こんなときこそ身体のチカラを抜いて落語でも聴くに限ります。さて何を聴くか?
『火焔太鼓』はどうでしょうか? 『崇徳院』というのもあります。『文七元結』、『子別れ』というのはどうでしょうか。富くじで千両当たるというメデタイ噺もあります。
いつだったか、もうだいぶ以前、桂ざこばの噺を聴きにいったときのこと、演題は『子はかすがい』(東京落語では『子別れ』)だったのですが、これからというときおもむろに懐から金物を取り出して「これですわ。知ってはりますか? これがカスガイです」・・・そんなことを思い出します。
カスガイ。ご存じない方は調べてみてください。
折々のことば
「朝日新聞朝刊に『折々のことば』いうんが載ってるけど、見たことあるか?」
「どこに?」
「1面の左下」
「気がつかんかったわ」
「まあ、ええんやけど」
「それがどないしたん?」
「縦横10センチ足らずの囲いのなかにいろんな人が、こんなこと言うてはるとか、こんなこと書いてはるとか、そんなんを毎日集めて、鷲田さんいう人が載せてはるんやけど、21日のが良かったんでママンにも読んでもらおか思て」
「これ?」
「そうこれ」
「『話すごとに、「おもしろいな!」「すごいね!」「いや、驚いた!」と、目を見張って、心底からびっくりしたような反応を示す人でした』。ふーん、そうなんや。鶴見太郎いうの?」
「そう。お父さんはそこに書いてあるやろ、鶴見俊輔いう人や」
「おとーさん、これ読んでどこがええ思たん」
「子育ての真髄がそこにある、思たからや。『勉強せー』とか『頑張れ』とか、言わいでもええことようけ言うて、ほっといても伸びたかもわからん子供の成長を抑えてたいうことやな、オレらは。このお父さんみたいに子供の話すことひとつひとつに、ちょっと大げさでもええから反応する、それだけで子供は自分のチカラで成長する、そういうことを思たんや」
「子育てなあ。わたしらも、いまになって子供には悪いことしたなあ思てるけど、そのときこないな余裕があったらよかったんやけど、あれこれきついことばっかり言うてたからな。しっかりさせなあかん、オトナになってから苦労するで、言うて勝手に決めて、型にはめることだけしか出来んかったからな。いまになって言うても遅いんやけど。ほんまに伸びる芽を摘んだんは、わたしらやったんやな」
「まあオレも、ママンに責任はまったくなかったとは言わんけど、けど、8割がたはオレの責任やな」
續 もいくつ寝ると
「も~いくつ寝ると~おしょおがつ~」
「やめてよおとーさん、まだ朝の6時やで。わからんわ、神経」
「迷惑かな」
「決まってるやないの。お隣さんまだ寝てはるかもしれんのに。だんだんひどなるな」
「切れてるんやろな、神経。恥も外聞ものうなったな。ヨッ!後期高齢者!」
「やめて、言うてるやろ。そろそろ引退するか、ニンゲン」
「そやなあ、それでもええけど、声だけはまだよう出るからな」
「それが迷惑や、言うてるやろ。わかってないんかいな、ほんま。知らんけど」
「コマ回し、タコ揚げ、羽子板、歌にあるみたいなんが当たり前やったのに、生き残ってるんはいくつあるやろ」
「スマホの時代やからね。外で遊ぶなんてのうなったんとちゃう」
「そやろなあ。タコ揚げ羽子板なんかは出来んことないやろけど、コマ回しはちょっと無理やろな」
「なんで?」
「地べたがのうなったからな。どこもかしこもコンクリとアスファルトで固めて、ラムネん玉なんか地べたにちっちゃい穴いくつか開けてそこへ入れるいうんをやってたけどそんなこともう出来へん。穴開けよう思たら、あの線路工夫さんがエンヤ~コ~ラ声合わせてやってたツルハシ持ってきて開けなならん。そら遊ばんわな」
「そら遊ばんわなて、時代やからどうしようもないんちゃう。学校の教科書に載ってたムカシの子供なんかタケ笹に乗ってお馬さんやってたん、見たこと憶えてるわ」
「そやなあ。オレも見たように思うけど、そないな幼稚な遊びやったことないな」
「そうと違う。いまの子供、タコ揚げ羽子板コマ回しなんて、幼稚な遊びに思うんとちゃうかな。知らんけど」
「けど、いま思たら楽しかったで。いま思うから楽しかった言えるんやけど、あのころは遊びに夢中やからな、楽しいなんて考える余裕もなかったな」
「幸せな時代やったんやな」
「思い起こせばやけど、あれ以上の幸せはないのかもしれんな」
「そおお? おとーさん言うてたで結婚したとき。これ以上の幸せはない、言うて」
「そうか、言うてたか。どないかしてたんかなあ」
「アクマが乗り移ってたんと、ちゃう」
もいくつ寝ると
「今日は23日の月曜日、そうそう、平成天皇の誕生日やな。ほんまなら3連休になるとこやったけど、まあまあ、正月休みはカレンダーがうまいことはまって9連休やからあと1週間、いよいよせわしないな」
「ほんまやね。昨日なんかでもイズミヤではユズが山盛り、出てたよ」
「もうオセチ作らんとこがようけある言うてたけど、まだまだ根強いねんな」
「ユズはお雑煮やら大根、ニンジン、カブラ、レンコンやら、昆布入れてナマス作るやろ。あれにユズも刻んで入れたらさっぱりしておいしいからね」
「ママンもよう作ってたな」
「今年も作ろか?」
「今年はええやろ。ゆっくりしよ」
「31日にデパートから届くしな」
「考えてみたら、なんやかんや用意するだけでケッコウかかるからな。オセチも出来合い買うたほうが安上がりかもしれんな」
「初めてやからね、どんなんが来るか、ちょっと不安もあるわ」
「何日か前にテレビで言うてたけど、ゴマメとか数の子とかゴボウの叩いたんとか、オセチの1品1品を100円均一で売ってる、言うてたで」
「どこで?」
「コンビニやったと思うで」
「需要がある、いうことやろな。それでええんやろ。知らんけど」
「いけるかも知れんいうたら目敏いからな。そらそうやわな、生き馬の目ェどころか、ウシだろうとイタチだろうとキツネだろうと、抜けるもんがあったら親の目ェでも抜こうかという世の中やからな。そらそうやわな、国内どころか、世界が相手やからな。えげつないヤツらばっかりのなかで生き抜いて行こ思たら、生半可なことではたちまち潰されてしまうからな」
「おとーさん、もう正月も近いいうてんのに、えげつないこと言うねんな」
「ええねん、ほんまにことやから。後期高齢者に怖いものなし、や」
「そおう?」
「ゴメンナサイ」