折々のことば
「朝日新聞朝刊に『折々のことば』いうんが載ってるけど、見たことあるか?」
「どこに?」
「1面の左下」
「気がつかんかったわ」
「まあ、ええんやけど」
「それがどないしたん?」
「縦横10センチ足らずの囲いのなかにいろんな人が、こんなこと言うてはるとか、こんなこと書いてはるとか、そんなんを毎日集めて、鷲田さんいう人が載せてはるんやけど、21日のが良かったんでママンにも読んでもらおか思て」
「これ?」
「そうこれ」
「『話すごとに、「おもしろいな!」「すごいね!」「いや、驚いた!」と、目を見張って、心底からびっくりしたような反応を示す人でした』。ふーん、そうなんや。鶴見太郎いうの?」
「そう。お父さんはそこに書いてあるやろ、鶴見俊輔いう人や」
「おとーさん、これ読んでどこがええ思たん」
「子育ての真髄がそこにある、思たからや。『勉強せー』とか『頑張れ』とか、言わいでもええことようけ言うて、ほっといても伸びたかもわからん子供の成長を抑えてたいうことやな、オレらは。このお父さんみたいに子供の話すことひとつひとつに、ちょっと大げさでもええから反応する、それだけで子供は自分のチカラで成長する、そういうことを思たんや」
「子育てなあ。わたしらも、いまになって子供には悪いことしたなあ思てるけど、そのときこないな余裕があったらよかったんやけど、あれこれきついことばっかり言うてたからな。しっかりさせなあかん、オトナになってから苦労するで、言うて勝手に決めて、型にはめることだけしか出来んかったからな。いまになって言うても遅いんやけど。ほんまに伸びる芽を摘んだんは、わたしらやったんやな」
「まあオレも、ママンに責任はまったくなかったとは言わんけど、けど、8割がたはオレの責任やな」