年の瀬寸感
「年の瀬とはうまいこと言うたな」
「なんのこと?」
「いやあ、瀬いうたら、川なんかでも流れの速いとこをいうやろ。師走とも言うくらいで、なんか後ろから押されてるみたいで、せわしないな」
「ほんまやね。あっちこっちのスーパーやデパートのチラシもようけ入ってて、オセチ料理の品評会やってるわ。行かんかったらええんやけど、そうもいかんさかい行ったら行ったで、ついつられて、あれこれいらんもんまで買うてしもうて、明けてからあと何日も冷蔵庫で食べられるんを待ってることになるんやけど、毎年、あないな気持ちになるんはなんでかな」
「言やあ、シアワセ言うことやろけどな。なんでもある世の中やからな。ゼータクをグチってるわけやろな」
「おとーさん仕事はいつまで?」
「29日や。30日から3日まで休み」
「そお。わたしまだお餅買うてないわ。毎年買うとこの、杵つき餅の店に30日に行ってくるわ」
「そうか。それやったらオレ、散らかってるとこ片付けとくわ」
というようなわけで、アッという間に年の瀬はおろか3が日も終わるのであります。
こんなときこそ身体のチカラを抜いて落語でも聴くに限ります。さて何を聴くか?
『火焔太鼓』はどうでしょうか? 『崇徳院』というのもあります。『文七元結』、『子別れ』というのはどうでしょうか。富くじで千両当たるというメデタイ噺もあります。
いつだったか、もうだいぶ以前、桂ざこばの噺を聴きにいったときのこと、演題は『子はかすがい』(東京落語では『子別れ』)だったのですが、これからというときおもむろに懐から金物を取り出して「これですわ。知ってはりますか? これがカスガイです」・・・そんなことを思い出します。
カスガイ。ご存じない方は調べてみてください。