朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

黒澤映画との出会い(2)

 記憶を頼りに思い出すまま指折り数えてみますと、神戸・新開地には、南から北への本通りを中心に一〇を超える映画館がありました。うち封切館は「神戸東宝」と「聚楽館」のふたつ、あとは二本立てとか三本立てで客を呼んでいました。

 昭和三七年、住み込みで勤めていた熊本市内の米屋を辞めた私は、神戸に出てきました。すでに父は神戸に出ていて、神戸港で働いていました。停泊する貨物船の船内警備(ワッチマン)が父の仕事でした。

 当時、JR(当時国鉄神戸駅の山側(北)道路ひとつ隔てたところに簡易宿泊所がありました。父はここにいました。建物の内部は、木の板で区分けした上下二段のベッドが通路を挟んで左右に並んでるという造りでした。

 宿泊所の管理は七〇歳前後と思われる老夫婦がやっていました。出入り口のすぐ左側は三畳か4畳半ほど部屋で、彼らの生活の場でした。おじいさんは背の低い人でしたがおしゃれな人で、いつもハンチング帽子を被っていました。反面、何かにつけて怒っていました。この二人のどちらかに一泊分の一〇〇円を前金で渡すと一夜の安眠が保証される仕組みです。私にとって初体験の、南京虫さえいなければの条件付きですが。常連の人は「ドヤ」と呼んでいました。

 父と私の生活が始まります。

 すでに父と顔なじみだったドヤの常連の二人が、私を仕事に誘ってくれました。神戸港での船内荷役がその仕事です。朝早く、荷役を請け負う会社に私を連れて行ってくれ、その日から働くことになります。

 朝八時から夕方五時までの仕事を「ワンデー」と呼んでいました。一時間の昼休みには会社から折り詰めの弁当が配られます。仕事を終え会社に戻ると、紙袋に入った日当九〇〇円を受け取ります。

 「オールナイ」というのは、オールナイトのことで、朝八時から翌朝の五時までの仕事です。その間休憩が三回、当日の昼と夕方、それに深夜〇時からの各一時間で、その都度折り詰めの弁当が出ます。献立はほぼいつも似たようなもので、薄っぺらいカレイの干物と、輪切りの紅ショウガが今も目の前に浮かびます。

 早朝、会社へ戻って受け取る日当は二一〇〇円だったように思います。

 そんな日々の中で、映画が一番の楽しみでした。