黒澤映画との出会い(3)
神戸に出てきて就いた最初の仕事が船内荷役だったことは前回のブログで書きましたが、その日の天気次第で仕事が中止になったり、また入港予定の船が遅れて仕事ができなくなったりというのもよくあって、そんなに珍しいことではありませんでした。
そんな時は、会社へ足を運ぶだけで、「アブレ賃」というものが出ました。アブレ賃が二〇〇円だったか三〇〇円だったか今は思い出せませんが、そのお金を持って足が向かうのは新開地でした。
すでに小林旭の「渡り鳥シリーズ」も宍戸錠の「エースのジョー」も上映されることはなくなっていました。新開地にひとつあった日活専属の上映館がどんな映画をやっていたのか記憶にありません。
神戸で最初に出会った黒澤映画といえば『椿三十郎』でした。なぜこの映画を観ようと思ったのか、そのきっかけが思い出せません。どこで観たのかも思い出せません。
こんなに面白い映画があるのかと思いました。その後、リバイバル上映や「黒澤映画特集」など、またテレビ放映などを含めて一番多く観たのがこの映画でした。
この映画をきっかけに、私は自分が大人になったのだと自覚しました。小林旭や宍戸錠などから卒業したのです。
黒澤明という映画監督と、三船敏郎という映画俳優の魅力は絶大でした。以後私は、洋画・邦画を問わず映画を観るときの目安として、監督は誰かを気にするようになりました。
当時、映画専門雑誌が何誌かありました。「スクリーン」や「映画の友」などです。また、スクリーンや映画の友のような華やかさはありませんでしたが、映画好きが好んで読みそうな雑誌に「キネマ旬報」がありました。「キネ旬」は今も刊行は続けられていて、私も時折図書館で手に取ることがあります。
黒澤映画との出会いをきっかけに、私は小説を読み始めます。