朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

声に出して読む『福袋』(角田光代)ー④

第一話『箱おばさん』ー(4)

 線路から垂直に続く商店街は、ひっそりと静まり返っている。空気は薄くもやっていて、アスファルトはひんやりと黒かった。帰宅する人々が影のようにひっそりと歩いている。彼らをよけながらペダルを踏んだ。ちらりと頭上を見ると、もやがかかっているのは地上だけで、夜空はすっきりと晴れていた。豆粒よりちいさな星がいくつか見え、進行方向にいびつにゆがんだ橙色の月があった。

 商店街を抜け住宅街にさしかかるころ、寒さで耳と鼻がちぎれそうに痛んだが、スピードをゆるめずペダルをこぎ続けた。頭のなかでは、改札を出たおばさんが段ボール箱を抱えまっすぐこちらに歩いてくる光景が幾度も再現されていた。それを押しつけられた私がレジの下に蹴っていくところも。

 住宅街のなかにぽつんと明かりが灯っている。白い光を投げるコンビニエンスストアの前で自転車を止め、なかに入った。アミノ酸飲料と、明日の朝のパンをレジに持っていき、会計をする。眉毛の黒々とした若い男が、袋を渡し、ありがとうございましたと律儀に発音する。

 パンと飲みものの入った袋を前かごに入れ、そこからは自転車を押して歩いた。川を渡る。川は黒々としている。水に映った街灯が白く揺れている。ふいに子どものころを思い出す。小学生のころだ。

 週に一度、四十分ほど電車に乗ってピアノを習いにいっていた。小学校三年生から中学一年までだ。家の最寄り駅から電車に乗ると、十五分ほどで電車は川を渡った。高架橋の下を流れる川はずいぶん広く、川縁には貸しボート屋があり、休日の河川敷はバーベキューをする家族でにぎわっていた。川のこちら側は緑が多く、低い建物ばかり続くのだが、川を渡るといきなり窓の外は都会の風情になる。緑が減り、ビルが林立し、空がぐっと狭くなる。私は都会風の光景のほうが好きだった。帰り道、川を渡ってのどかな光景が広がると、心底うんざりした。本意ではないのに連れ戻されてしまったように感じるのだった。

 そうして小学校五年生のとき、私は決めた。この川を四百回渡ったら、大人になるのだと決めた。なぜ四百回だったのか、なるべき大人の像がどんなだったのか、まるで思い出せないが、とにかくそう決めたのだった。そうして毎回律儀に数えた。二十四回、三十七回、八十六回・・・・楽譜の裏に正の字を書きこんだ。四百回ははるか遠くに思えた。。

 ピアノはまるで上達せず、中学一年になってもソナチネをやっていた。最後はずる休みばかりして、先生にきちんと挨拶もしないままやめた。そのころには、四百回の決意など忘れていた。

 アパートにたどり着いた。門をくぐり自転車を止め、ポストをのぞきDM数枚を手にして、コンクリのひび割れた階段を上がる。鍵穴に鍵を差し入れてドアを開く。窓からさしこむ街灯の光が、先週出したこたつを淡く浮かび上がらせている。ああ、箱だ、と私は思い出したようにつぶやいてうなだれた。(つづく)