朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』-18

 この淵は、川とは思えないほどの深さで、その川底は、この川のことなら手に取るように知っているという地元の川漁師でさえ、つぶさには知らないというほど。水面から上には大きな岩がせり出しておりまして、その上のほうは急峻な山の崖になっております。こちら側から望む山の面は、人の立ち入りを拒むように、鬱蒼と茂る森林となっておるのでございます。

 そしてその下、川底の岩の下は、どのような川の流れの変化によって出来上がったのか、不思議な、迷路のように入り組んでおります。

 いまだ深い眠りから覚めぬ龍之介カッパにとって、人目を忍ぶにはここがもっとも適しているだろうと、いくつかの候補地のなかから閻魔大王が選び決定したのでございます。龍之介カッパは言わばお釈迦様からの預かりものに等しく、おろそかにはできないという閻魔大王の配慮も働いたのでございます。

 大蛇ヶ淵一体の水の色は、底知れぬ深さを証明するように濃い深緑色で、満々たる水の面にいくつかの渦を浮かべて、ゆるやかに流れております。

 上流から続く川の流れは、何カ所かで緩やかな蛇行をなしておりますが、この大蛇ヶ渕は、先ほどお話しをいたしました大きな岩に水の流れが当たって遮られ、ここで川は「く」の字に流れを変えるのでございます。そのせいで川底が深くえぐられ、また大岩の下も迷路のような穴になったのではないかと思われます。

 以前は、まだこの淵が大蛇ヶ淵と呼ばれるようになる以前のことですが、夏休みになりますと、この場所の、こちら側の岸辺一帯は小・中学生くらいの男の格好の水浴び場となっておりました。「夏休みの友」などという、友にはしたくない宿題は放りっぱなし、母のいうことも聞かずここに集まっては泳いだり潜ったり、またこの一帯は目の細かい砂地になっておりましたので、水辺から両手にひとすくい、すくい取ってきては丸く丸めて、子供同士、どちらが堅いか、下に置いた砂饅頭に、別の子がこしらえた砂饅頭を膝の高さから落とし、どちらか割れたほうが負けという、そんな遊びを夏休みのあいだ飽きもせず日がな一日送るという、今から思えば夢のような場所だったのでございます。

 ところが、その淵が大蛇ヶ淵と呼ばれるようになってののちは、その淵一帯への立ち入りは禁止となったんでございます。とくに子供は学校から厳しく注意され、いつしかだれも寄りつかなくなったという、もちろん、その淵が大蛇ヶ淵と呼ばれるようになったのは理由がございまして、その理由と申しますのは、この淵の近くに住まいする川漁師がある朝、まだ夜も明け切らぬ早朝のことですが、いつものように素潜りのウナギ漁をやろうと川近くにやってまいりますと、天候のせいか川面は一面霧がかかっております。といってこういうことは特に珍しいことではございませんで、いつものように、川岸に生えておりますヨモギの葉をひとつかみ掴んで、水に濡らしますと、両手手の平で丸めて柔らかくし、これで水中眼鏡のガラス面を拭くという、いわば曇り止めなのでございます。それをこちらの川辺でしゃがんでやっております川漁師が、向こう岸のあたりでなにやら気配を感じてうつむいていた顔を上げたのでございます。(つづく)