朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』-11

 その樹齢1万年という長い年月を、屋久島の厳しい自然環境のなかで耐えに耐え育まれてきた屋久杉の一枚板、と申しましても現在は伐採が禁じられておりまして、この薄い板もやっとのことで手に入った物、実態は裏側のほとんどは発泡スチロールということも仕方のないこと。薄いとはいえ表側の1枚物の材は屋久杉の1万年ものには違いはございません。その表面は、材の内からにじみ出る油分でしっとりと光り、まるで黄金の1枚板と見まがうほど。

 そこへ、黒々と光沢を放つ墨の色もなまめかしく、持ち重りのするような大筆でもって、穂先から穂首全体の隅々までたっぷりと墨汁を吸わせます。と墨痕淋漓、一気呵成に漢字3文字が描かれております。これはもう、ただ書いてある、文字が読めればいいという次元の話ではございませんで、やはり芸術の領域で判断しようかという、漢字3文字なのでございます。

 そのひと文字ひと文字は、横一間縦2間、つまり横180センチ、縦360センチ、タタミ4畳分の広さの黄金色の1枚板の面積からはみ出さんばかりに漢字3文字が書かれております。と申しますより、書いた人の個性が描かれている、そう表現したほうが適切ではないか、そう思うのでございます。

 とは申しましても、一点奇妙な部分もございまして、最期の3文字目、これが前のふた文字に比べてバランスを欠いておりますところが奇妙といえば奇妙なのでございますが、これにはちょっと訳ありでございまして、その理由はこれからお話し申したいと思います。

 地獄年3万8千年、それが今年にあたるわけですが、年度替わりの今年1月、閻魔の庁はめでたく「省」に昇格をいたしました。それに伴い、閻魔大王の肩書きも長官から閻魔省の地獄担当大臣に昇格という、めでたい話ではございます。が、屋久杉の大板のほうに話を戻しますと、それまで長いあいだ掲げられておりました「閻魔庁」の看板は文字も剝げ、地獄で炊く窯の煤などが長年のあいだ知らず知らずこの執務室にも入ってまいりまして、なんと書いてあるのやら真っ黒け、というわけで。新しく「閻魔省」へと掛け替えるために用意された屋久杉の大板、閻魔省と最期までは書かれず、最期のひと文字が前のふた文字と比べてバランスの悪い小さな「少」の字で終わっているという、その未完のままで掲げられているのでございます。

 実際にだれも見たことのないといわれております想像上の動物、龍。この龍の絵を描くとき、姿かたちすべて書き終わった後に一カ所、目を書き入れて完成というのがセオリーになっておるのやそうでございますが、この閻魔の省の看板も、肝心の「目」がまだ入っていないのでございます。

 さて、この看板の執筆を依頼されたのが誰あろう「TARO」氏でございます。ご存じ地獄絵図の作者で、先刻承知のお方。「地獄は爆発だ!」とばかり意気込んで書き始めたまではよかったのですが、なにせ手に馴染んだ絵筆から持ち馴れぬ毛筆、それも大きくて重いという想定外が災い、高齢も重なって最期まで書き終えることが出来ず、最期の文字の半分「少」を書き終えたところで体力の限界、爆発どころは不発弾となって気絶してしまったのでございます。

 TARO氏はそのまま救急車で運ばれ現在もまだ入院中というわけで、書き加えられるべき「目」を欠いた大看板を見ておりますと、「画竜点睛を欠く」という故事が思い出されるのでございます。

 とは申しましてもさすがにTARO氏のこと、持ち馴れぬ毛筆とはいえ、その文字の迫力や力強さは群を抜いておりまして、地獄担当大臣閻魔大王の執務室の空気を引き締めているのでございます、(つづく)