朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』-21

 さて、長い洞窟生活から抜け出ましたオオサンショウウオ、その後どうなったのかと申しますと、ここでまた『蜘蛛の糸』の本題から横道へ逸れるのでございますが、お付き合いのほど宜しくお願いを申し上げまして、まあ、なんと申しましてもこのお噺、作者がいい歳をして落ち着きがなく、糸から離れた風船玉、どこへ飛んでいくか本人さえも風まかせ、ではございますが、何卒最後までお付き合いをお願いいたしまして。

 さて、そのオオサンショウウオのその後のことでございますが、何かに導かれるように川の底、流れに身を任せて下ってまいります。やがて緑川の河口まで下ってまいりますと、そこは熊本県長崎県に囲まれた島原湾でございます。

 その島原湾を横断いたしまして、長崎県島原半島にたどり着いたのでございます。

 そのあと、地図にある通りの海岸線に沿って時計回りに佐賀、福岡へと海底をだれに気づかれことなく這って進み、本州九州を繋ぐ関門海峡を抜けて、日本海側から瀬戸内海側に入ったのでございます。

 噺が長くなりそうですのでどんどんと進めてまいりますが、山口、広島、岡山、兵庫、と瀬戸内海から播磨灘へと入ってまいります。とあたかも世間は春の真っ盛り、海の上ではたくさんの船がひしめきあってイカナゴ漁の真っ盛りでございます。

 オオサンショウウオがここまでたどり着きますまでの約半年、食べ物と申しますと海底の泥のなかから掘り出したアサリやハマグリなどの貝類がほとんど。それはそれで大きな身体を養うエネルギーが不足することはなかったのですが、オオサンショウウオにとって幸運だったのはこの時期の播磨灘に居合わせてことでございます。網の目からこぼれ落ちましたイカナゴの新子を鱈腹食べることができまして、休むことなく続けてまいりました長旅の疲れを癒やしたのでございます。

 そしていつしか、オオサンショウウオは伊勢湾に。継続は力なり、と申しますがまさに身を以て実践しておりますオオサンショウウオ、どこから流れて来たのかミソカツや味噌煮込みウドンの切れ端を口にして、エネルギーを蓄えております。

 そうして再び移動を開始、東京湾に入りましたころは上野の山の桜はとうに散り、薫風香る青葉のシーズンも過ぎて、もうすぐ夏休みというころのことでございました。

 さてその後のオオサンショウウオの消息でございますが、風の便りならぬ波の便りによりますと今は、東京都は杉並区、荻窪のあたりを流れるあまり大きくもない、どこにでもある平凡な川の川底、その泥のなか深くにその大きな身体を横たえ、長旅の疲れを癒やすように深い眠りに落ちているとのことでございます。なぜこの場所を安息の地に選んだのか、あるいは再び深い眠りから覚めて新しい旅にでるのかは、オオサンショウウオが知るのみ、いやいや、オオサンショウウオとて知らないのかもしれません(つづく)