朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』ー44

 お釈迦様と申しますのは、天国・極楽を統括いたしますもっとも偉いお方なのでございます。そのお方が象の背に揺られながらのご登場でございますが、お迎えするそれぞれ天上界の群衆、と申しましても、わたしなど側にも寄れないお偉い方々ばっかり、なんともうしましても日本だけでもヤオヨロズ、800万の神々がここへお集まりになっておりますから、世界中の神仏、賢者、偉人を合わせますと38億人という途方もない人数でございます。

 その面々が、白象の背に乗ってご登場なさいますお釈迦様を大きな拍手と歓声でお迎えしたのはよかったのですが、次の一瞬、シーンと音がするような、まさに水を打ったように、また天球がその回転をやめてしまったかのように、皆が皆、時間が止まったように凍りついたのでございます。

 何事が起きたのか? お釈迦様が象の背の揺れについ気持ちよくおなりになって、うっかり居眠りをなさって象の背から落馬されたのか? とんでもない、象の背から落馬などあり得ない、原因はお釈迦様の頭なのでございます。

 テカテカに剃り上げた坊主頭、あのひと目でお釈迦様とわかるトレードマークのパンチパーマがきれいさっぱり剃り落とされ、アニメの一休さんのような頭になっているではございませんか。

 この、坊主頭におなりになった原因理由と申しますのは、もうだいぶ前の回でお話し申しましたので繰り返しませんが、いやいや、本当のことを申しますと、今回は連載44ですが、どんな理由だったか振り返って調べるのが邪魔くさいからでございます。偽らぬところで、この連載、われながらよく続いてるなあと、思っておるのでございます。もし、このブログをご覧になったお方で、お釈迦様が坊主になられた理由を知りたいと思し召しでしたら、最初からお読み戴きますよう、伏してお願い致します。

 さて、蔵王八甲田山樹氷かと見まがうほど、軒端のつららのように凍りついたままの群衆でございましたが、やがて足のつま先から頭のてっぺんへと金縛りが解けまして、坊主頭のお釈迦様を仰ぎ見ております最前列の群衆からさざ波のように遙かかなた後方の神仏、賢者・偉人と呼ばれる方々が我に還り、そのお方がお釈迦様や、お釈迦様に相違ないと、先ほどまでシーンと音の出るような静けさだった天上界が、それを包括する天球も割れんばかりの大歓声になったのでございます。

 お釈迦様がお乗りになった神獣白象の背には、輝くような金糸銀糸で刺繍した、ジュウタンのように分厚い絹織物がかけられております。そしてその上には、お釈迦様がゆったりとお寛ぎになれるほどの広さの輿が取りつけられてあり、その四隅には4本の柱が立てられ、これもまたさまざまに色鮮やかな絹織物で覆われた天蓋を支えております。

 その輿に泰然とお座りになったお釈迦様、うららかな春のこの日、4月8日はお釈迦様のご生誕の日でございます。見ているだけで眠ってしまいそうな歩みの象の背の揺れにまかせて、待ちに待ったお釈迦様のご登場でございます。(つづく)