朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

落語『蜘蛛の糸』ー51

「とんでもないこと? とは?」

 とお釈迦様、少し首を傾げて、特に弥勒菩薩様のマネをなさってのことではありませんが、無意識に右手の人差し指と小指を立てて、親指中指薬指は指先をくっつけ、野球のピッチャーが後方の野手に向かってツーアウトを徹底確認するしぐさやまた、影絵のキツネを手と指を使って現すことで、言葉だけではない、身体の一部を使って❔(ハテナ)を表現なさったのでございます。

「はい、申し上げます。そのガキ大ショ・・・いえいえ、そのリーダーらしき少年の申しますには『お地蔵様にオシッコをかけたら許してやる』と、そのようなことを申すのでございます。わたくしも『オイ、オイ、なにすんねや』と思いましたが、逃げることも話すことも、戒律でございますから・・・」

「それで、地蔵くんがその犠牲に」

「犠牲というほどのことではございませんが、わたくしの目の前の、道をへだてた田んぼの畦道に一本の柿の木がございまして、この柿の木と申しますのはもう随分まえのこと、カラスが糞と一緒に落とした種が芽をふいたものでございます。この柿の木の枝先にとまっておりますカラスがわたくしに向かって『アホウ、アホウ』と、ときにはなんのことかはわかりませんが『地蔵のバカー!』などと、エヌ・エッチ・ケーでは絶対使わないようなパワハラ語を使うのでございます。その上、わたくしの頭を休憩所兼トイレとして・・・まあそれに比べますと頑是ない子供のこと、オシッコなどは」

お釈迦様は地蔵くんの仕事も大変だなと思いながらも、オシッコやフンをかけられるお地蔵様の姿を想像しながら、ついこみ上げてくる笑いを、弥勒菩薩様のポーズの指先でご自分の頬を強く押し、その痛さと、両の奥歯を強く噛んで耐えていらっしゃいます。

「それで、地蔵くんのお話はこれでおしまいですか?」

「いいえ、これはマクラでございます」

 孫悟空が用意いたしましたキント雲にご対座のお釈迦様とお地蔵様。そのおふたりを中心に取り囲みましておふたりの会話を聞いておりました38億からなる群衆は一瞬、全員が『ドテッ!』とずっこけたのでございます。続けてどこからか、『オイオイ、落語かよ』と声があがります。しかしさすがはお釈迦様、やはり天上界のリーダーだけのことはございまして、お地蔵様のいちばん近くにおいでだったにもかかわらず、お地蔵様の一撃を辛うじてかわしてその話の続きをご要望になります。

「わたくしにオシッコをかけているとき、その子には運の悪いことですが、鍬を肩にお百姓が通りかかり『このバチあたりが!』と首根っこをつかまれ引っ張っていかれたのでございます。いじめっ子らはヤバイとばかり自分の家の方に逃げ帰ります。・・・実は、このいじめられっ子の親と申しますのは、もともとこの在の者ではございませんで、村から村へと渡り歩いてはわずかな労賃で仕事を得、辛うじて飢えをしのぐという、その子供がわたくしにオシッコをかけたことが村中に知れ渡り親子5人、この村を追われることになったのでございます。追われて村を去る道すがら、わたくしに泥土にまみれた幼い手を合わせ、無心に謝った子こそ、幼いころのカンダタでございます」(つづく)