こわい? こわない?
「おとーさん」
「なに?」
「こわないの?」
「なにが?」
「そやから、こわないの? 訊いてんねん」
「そやから、なにが? 言うてるやろ」
「この歳になってこわないの? 訊いたら、わかるやろ?」
「わからんなあ?」
「しぬことやないの」
「なーんや、しぬことかいな」
「なーんやておとーさん、ほんまはこわいんやろ」
「いやべつに」
「わたしらふーふやろ、ほんまのこと言うたらどない?」
「鈍感やからな、おれ」
「ほんまに鈍感やから」
「それやったら、なにがこわいの?」
「まんじゅうこわい」
「まんじゅう!?」
「ああ、あのあんこのこと考えたら、口んなか酸いーツバがわいてきて、さぶいぼがでる、ほら」
「ほんまや。うそやないねんな」
「うそ言うわけないやろ、ふーふのあいだで」
「けど、おとーさん、ござそーろー、半分こしてうれしそうに食べてるやないの」
「そんたくそんたく、親しき仲にも礼儀ありや、なあ、よめさんが『ござそーろー食べたい、おとーさん半分こして食べへん?』言われて、『勝手に食たらええがな』そんなつれないこと言われんやろ、50年以連れ添うたふーふやで」
「はーい、そこまで。前振り終わり。おとーさん、本題に戻ろか。400字、とうに超えてるで」
「なんやったかいな?」
「しぬのこわないか? いう話」
「まんじゅうこわいは、済んだな」
「済んだ、怒るで」
「こわないな、そないな、ひらがなで言われても」
「おとーさん、ほんまに怒るで」
「死ぬのなあ・・どやろ、おれ鈍感やし、急な話でもないし、というて、急やったら恐がってるヒマないやろし、というて、今はどない? 訊かれても、実感ないしなあ」
「ほんーまに鈍感やねッ」
「おれいっぺん、ママンにも話したと思うけど、注射のこと憶えてないか?」
「ちゅうしゃ? うち、クルマないで?」
「その駐車とはちゃうんや 。腕に刺す、ジカーンと痛い、あの注射や」
「だれだって嫌やわいな。言わんといて」
「そやな。大人でもかなん思うけど、子供のときは、今でも思い出すくらいやさかい、嫌やったで」
「注射と死ぬん、なんかかんけーあんの?」
「いやあ、直接かんけーある話やないけど、似てる、思てるんや」
「どこが?」
「子供のころ学校で、予防注射やらなんやから、並んで、受けたことあるやろ?」
「あるよ。憶えてるわ。先生に『あした注射です』言われると、帰ってからでもいややったわ」
「そやろ。けど、なんやかや言うても、受けんならんもんは受けんならん」
「しゃーないしな」
「並んで待ってると、だんだん自分の番が近づいてくる、先生がアルコールのしゅんだ脱脂綿持って待ってる。そのひとつ奥で、坊主頭の年寄り医者が、注射器をこう持って構えてる。思い出した、かっちゃんや、涙の粒、ポロポロッと流しててな」
「いたいた。ほんまに『嫌や嫌や』いうて、泣いてた子」
「ママンとちゃうか?」
「フランス人はそんなとこで、泣かへん」
「というて、逃れるわけにはいかへん。一緒やろ。死ぬんと」
「一足飛びやな。注射と死ぬんと」
「待ってるあいだが嫌や、いう話や」
「ちょっと違う、そんな簡単な話やないと思うけど」
「そらそうかもわからん。けど考えたところでどもならん。その場になってみんとな。おれもばあさんに始まって、おやじ、おっかさんと見てきたけど、だれも『嫌や嫌や』いうたもんおらへん」
「知ってるよ、わたしも」
「技術が進んで、死後の世界をテレビで実況中継なんてことになったら、笑うやろな」
「笑われへん」