わからんもんやなあ
「おとーさん、どこ行ってたん? 遅かったやないの」
「駅前の銀行にな。足らん分入れとこか思て」
「なかったやろ?」
「うん、駅南に移転しますて、張り紙があった」
「そっち行ったん?」
「うん、そっち行ったんは行ったんやけどな、行く途中駅の改札のとこで、ばったり会うてな」
「だれに?」
「いや、知らん人やけどな」
「なによそれ。知らん人にばったり会うなんてことないやろ」
「まあ言われてみればそうやけど、まったくの顔見知りではない、ちゅうわけでもないんやけどな」
「なんや、ややこしいわかりにくい話やな」
「定年になる前の話やけどな」
「ふん、そこまで遡るんや」
「いや、そのころの人やからな」
「そうか」
「大阪やったやろ、仕事」
「そやったね。梅田から地下鉄で、なんやったかな? えッ? そうそう淀屋橋、そこまで行って、あと中之島の市役所の横通って、おとーさん通うてたな」
「よう憶えてるなあ、感心するわ」
「バラ公園、連れて行ってもろたことあるやないの」
「ああ、行ったなあ」
「あのとき、漫才師の増田・岡田がテレビのロケやってたやろ?」
「そやったな。若かったな」
「そのころの人?」
「なにが?」
「なんや、忘れたんかいな、さっきの話」
「そやそや、そやったな。朝、淀屋橋で降りるやろ。そして中之島通って会社行くんやけど、いつもその途中ですれ違う人がいてたんや」
「挨拶かなんか、したん?」
「いや、なにもせえへん。けど顔だけは憶えてたんや」
「そおう? それで、その人とばったり会うたということ?」
「そやねん。それでどっちともが、知り合いに会うたみたいに『いやあ、どうも』言うて挨拶して、『お茶でもどうです』言うて、きっちゃ店行ってたんや」
「へえー、そんなことってあるんや」
「不思議やろ。不思議はこれだけやないねん」
「まだなにかあったん?」
「そやねん。話聞いてたらおれよりとおほど歳下なんやけど、今年定年になったいうてな。それでな、話してたら、どうも言葉のアクセントというかイントネーションというかわからんけど、この人九州やなと思うて、訊いたんや」
「どやったん?」
「縁は異なものというか、世間は狭いというのか、同じ町の、それも目の前の運送店と親戚の人やったんや」
「へええ、なんとまあ、わからんもんやなあ」
「そやねん。わからんもんやねん。子供の頃ちょくちょくこの運送店に遊びに来てたらしいんやけど」
「それやったらおとーさん、知らん間に会うてたかも知れんで」
「いや、それはないわ。歳がとおも離れてるからな」
「そうか、とおも違えば、そうかな。で、いろいろ話したんやろ?」
「うん、武庫之荘にいてはるらしいわ。子供さんが3人で、もう社会人で、いまは奥さんとふたりや言うてはった」
「うちと一緒やな。名前はなんちゅう人?」
「名前?」
「訊いたんやろ?」
「聞いた。あれ? なんやったかな? もう名刺ないからなあ」
「おとーさん、頼んないなあ、ほんまに。頼むで」
「笑うやろ」
「笑われへんわ」