山の吊橋
「や~まのつ~りは~しゃ~ぁー どな~たがとおる~ せがれ」
「おとーさんおとーさん、声が大きいよ。急にビックリするやろ。どないしたん?」
「どないもせーへんよ。急にな、唄いとうなっただけや」
「相変わらず昔の歌が好きなんやから。この歌、難しいんちゃう?」
「おっしゃるとーりですわ、むつかしい」
「おとーさん、もっとやさしい歌あるんちゃうの」
「あるよ。あるけどおれのミミには、『ヘタなんやから』言うてるように聞こえるんやけど?」
「自分ではどー思てんの?」
「ああ、ヘタや」
「それやったらえーやないの」
「ええけどな。おれがオンチいうんは自分でもわかってんねん。そやさかい若いころはカラオケ誘われるんがいややったんや。おれええ言うて断って唄わなんだら『順番な』言うて、無理に唄わそするやろ。しゃーない、唄うやろ。聞いてない、無視してるんがよーわかるんや。あれな、唄え言うた手前、気ィ使うてんねん、よーわかるんや。ココロんなかで『唄うのイヤいうたんがよーわかる』思てんねん。これがまたうまかったらなんやかや言いよんねん」
「若いころは、わたしのまえでも唄わんかったもんね」
「子供のころから、音楽は苦手やったんや」
「けど、いまはへーきで唄うてるやん。若いころとはちゃうよ」
「まあひとことで言やあ、トシとったんで厚かましなったんやろな。居直ったんやな、おれはオンチやない、これはおれの個性や、いうてな」
「そしたら、カラオケ行っても大丈夫?」
「ああへーきへーき。『山の吊橋』ええで。春日八郎、ええ声やな」
「えらい気にいったんやね、『山の吊橋』」
「ああ、なんというても作詞、詞がええな、もちろん曲もええけど」
「どんなとこがええの?」
「どんなとこて、全部ええな。歌詞の一番で出てくるんは『せがれなくした鉄砲撃ち』やで。かわいそーやろ。物語がそーぞーできるやろ。子供どんな病気で死んだんやろかきっとどんなことがあっても泣いたこともないよーなごついオッサンが、息子なくして号泣したんちゃうやろかとか、話し相手のイヌ連れてやで、『頼むぞ』言うてるんかな奥さんはどーなんかな、いてないんやろか? とか、クマのオヤジをみやげにするとかテッポひとなでとか、このたくましいけど人なつっこいオッサンの姿や顔が目の前に見えるよーやろ」
「おとーさん、ハナシ作るんがうまいなー。なんで小説家に、なったらよかったのに」
「若いころはボーッと生きてたからな。歳とってからこんなこと思えるよーになったんや。二番はな、ムスメさんや。村娘。『遠い都へはなれた人を、そっとしのびに村娘』や。男の方はどんな事情か知らんけど、まあ就職やろな、トーキョーへ行ったんやろ、いまでは新幹線でアッというマやけど、当時は遠いミヤコや。どんな事情があったんかいなあ。片思いやったんか? ちゃうな、片思いとはちゃう」
「なんでわかるの?」
「次の歌詞でわかるんや。『谷の瀬音が心にしむか』やで。ふたりでこっそり隠れるようにしてこの谷に来たにそーいない」
「またまた、なんでそんなことがわかるの?」
「わからんか?」
「わからん」
「次の歌詞が証明してるやろ? 『涙ひとふきして通る』やで。ホレ、ユーラユラ、カズラ橋やろきっと。人に見られんよーに、着物の袖かなんかで拭いて、娘の心情思たらこっちがナミダ出そうになるわ」
「ほんーまにおとーさんという人は、二重人格やな。そんな歌のなかの人間にあーやこーや言うて、わたしにはほとんど無神経やろ。この差はなんやのん」
「まあま、三番三番。『酒がきれたか背中を丸め』やで。吊橋を渡って行く後ろ姿が目に見えるよーやろ。季節は冬やな。背中を丸めやからフトコロ手やな。『のんべ炭焼急ぎ足』酒がきれたんで大急ぎでふもとの酒屋に買いに行ってるんやろ。行った酒屋でまずイッパイひっっかけて、その勢いで炭焼き小屋まで戻ろかというけーさんやなきっと、吊橋はその途中や、買いに行く、なあ? 目に見えるよーやろ? 次の文句がまたええんや。『月をたよりに枯れ葉のように、くしゃみ続けてして通る』やで。お月さんの淡い光に照らされて、ユラユラ揺れる吊橋を急ぎ足ののんべ炭焼きの丸めた背中は、まるで枯れ葉のようやいう、このタトエはうまいなあ、思うやろ? 思わへんか?」
「わかった、よーわかったわ。しあわせやな、おとーさん」