ジンボーゼロ
「こんな愉快なこと、久しぶりや」
「なんかええことあったん?」
「ああ、イッちゃんがな。ええこと言うた」
「イッちゃん? イッちゃんて、だれなん?」
「イッちゃん、知らんか? いまいちばん人気もんやで」
「だれなん? 知らんわ」
「イッちゃんいうたら、イチローに決まってるやろ」
「なんやねんな、友達みたいに」
「みたいなもんや、辞めたんやから」
「おとーさんあれだけ応援してたのに、愉快やなんて、失礼ちゃう」
「いやいや、引退したんは残念やけどな、そやないねん」
「そやないて、なに?」
「引退の、記者会見のとき言うたやろ」
「なんて?」
「『監督どうですか?』訊かれて、絶対無理言うたあとに『ボク、人望がありませんから』言うたやろ。愉快言うたんはこれや」
「それのどこが愉快なん? 意味わからんわ」
「イチローがあそこであんなこと言うとは思いもせなんだけど、イチローが言うたことととおれが聞いたことがおれの心んなかでピターッと一致したんや。うまいこと言うたなー、思うてな」
「わからんわ、おとーさんのアタマんなか」
「いや、ママンはわからいでもええねん。おれがわかればそれでええ話やからな」
「イチローに人望があるかないかはおれもわからんけど、ないはずないと思うけどな、けど、自分自身の問題や思うんや」
「自分自身の問題?」
「そう、自分自身の問題。人望があるかないかを決めるんは、自分やのうて他人さんが決めるもんやろ。『おれ、人望あんねん』真顔で言う人おったら、ちょちょ、ちょっと待って、思てしまう」
「おとーさん、ちょっと変わってるんちゃう。まあ、前から思わんでもなかったけど」
「いや、ママンの言うとおり。若いときは『おれはまともや』思てたけど、いつごろからか、ママンのいうてることは正しい、思うようになった」
「けど、イチローが『人望がない』言うたんが、なんでそないに愉快なんか、さっぱりわからんわ」
「真顔で、言い切ったやろ。笑てなかったやろ。すごいなー思たんや。あれ言うたんは、自分自身に言うたんとちゃうか、思たんや」
「どういう意味それ?」
「自分自身が自分を信じてない、信用ならん、そう思たんちゃうか。それなのに他人さんに人望があろうはずがない、そう思たんちゃうかな。それで自分自身に向かって人望がない、言うたんやなと、そう思たんや」
「ますますわからんわ。どないしたらそないにひねくりまわして考えることがあんの。ややこしい人やな」
「いやあ、イチローぐらいになると、凡打やったら自分の未熟さを許せんやろし、ヒット打ったとしても、あそこ狙ったのに、なんであそこへ球が飛んだんやろ、このコースやったら絶対2塁打にせなあかんかったのに、とまた自分を責める、そんなんが積み重なって自分で自分が信用ならん、それが人望と繋がって言葉になったんちゃうか? そう思たんや」
「あほらしいわおとーさん、一銭にもならんのに、よーそんなこと考えんな。コープでも行ってくるわ。あら? なんや、もうこんな時間や。・・・おとーさん、トイレの電気点けっぱなしやで」