『風と共に去りぬ』を観る
「ママン! すごい映画やなあ!」
「そーやねえー、すごいねー」
「これまで観る機会はなんべんもあったんやけど、なんーかしら観る気がしなかったんや。単なる甘い恋愛映画と勝手に思い込んでいたんや」
「めずらしいね。映画ずきのおとーさんが観てなかったんやなんて」
「ビビアン・リーがええよな。わがままで、お山の大将で、うぬぼれが強うて、鼻っ柱が強うて、若い男は自分はなんとも思てないようなオトコでもぜーんぶ自分に夢中でないと満足せん、言わば自分中心に地球は回ってる、そない思てるようなオンナやな」
「そやねえ、絶ッ対嫌われるやろなニッポンでも」
「おれもアカンわ。いまやから、そして映画やからええけど、若いときやったら最後まで観らんと映画館出てくると思う」
「最初の出だしのシーンなんか西洋のムカシの油絵観てるみたいで、監督も意識してあんな映像を撮ってるんやろな思たな。時代は何年ごろか知らんけど、南北戦争が始まって終わるまで、そのあとも物語は続くんやけどビビアン・リー、弱音吐いたりグチ言うたりもするんやけど一筋縄ではいかん、転んではタダでは起きん、わたしがよけりゃ他人(ひと)のことなんか構うておれん、どころか、どうしてもカネがいるとなれば妹のイイナズケまで自分の夫とするちゅうのは、徹底してるよな」
「ハハハ、見とるほかないんやから、どないもしょがないわ」
「またお父さん役が『駅馬車』に出てた酔いどれのお医者さん役で、なんやったかな名前。行商しながらサケの注文とって回るあれ、気の弱そうなおっちゃんの名前、ピーコックいうんやな名前、役者さんの名前は知らんけど、この役名のピーコックだけは忘れへん、ピーコックいうたらクジャクやからな。その人の酒のサンプルの入ったカバンを自分が持ってやる言うて取り上げて、駅馬車ん中で、最初は盗み飲みやったんが酔うにまかせて大胆になって、そんな役やってたんや、あのお父さん役。ママンも知ってるやろ?『駅馬車』」
「うん、知ってる。憶えてる」
「あの人が荒っぽい馬の乗り方をして柵を跳び越えたりしてて家族のもんは心配してたんやけど、とうとう落ちて死んでまうんや。あれが伏線になってるんやな。クラーク・ゲーブルとビビアン・リーのあいだに娘ができて、おとうちゃんのクラーク・ゲーブルが目に入れても痛うない一粒種の娘が可愛て可愛てしゃあない、大きなったら一番ええポニー買うて乗せたるいうてそのとおりになるんやけど 、なあ、それがアダや。お母ちゃんもお父ちゃんも『やめ、やめとき』いうのを聞かんと柵跳んだんはええけどポニーの背から放り出されて、なあ。おじいちゃんの二の舞や。さすがに強気のおとんもおかんも、これには」
「ねー。なあー」
「お母ちゃんのおなかには次の子ォが入ってたんやけど、あれはどーなったんかな?」
「あかんかったんちゃうの。階段から落ちたやろ」
「そうかそうか。そんなシーンあったな。結局なんやかやあってビビアン・リーとゲーブル別れることになるんやけど、どうにもこうにも、どないしてええか分からんときはその日のうちになんとかせなあかんなんて考えんと、『あしたまた考えよう』というのがええな。『諦めへんで』いうやつや。そして最後。ビビアン・リーが一番愛してたんはなにか? というんに気がつく」
「南部の、自分の生まれ故郷やね」
「うん。人は死んでおらんようになるけど、土地はなくならんからな」