朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

いつも、すみません

「先日駅前で、バッタリお会いしたのを憶えていらっしゃいますでしょうか?」

「ええ、憶えております。奥さんとご一緒で」

「ええ、そのときのことですが、妻が『いつもすみません』と言ったのを聞いて、なにか、先生に謝らなければならないことをしでかしたのかと心配になりまして」

「それでわざわざ」

「なにかご迷惑を」

「いや、そんなことはいっこうに」

「では何故、妻は先生に、すみませんと謝ったのでしょうか?」

「何故とおっしゃてもわたしにはわかりませんな」

「妻のことですから、夫としては何かあったのだろうか? とか、あの『いつもすみません』の『いつも』にはどんな意味があるのだろか? とか、つい考え込んでしまって」

「お気持ちはお察ししますが、こういうことではないかと思いますが」

「どういうことでしょう」

「普通によくあることですが、『すみません』を謝罪の意味とは別に感謝の意味、『ありがとう』として使うことは特に珍しいことでは、ご主人もよくご存じのことと」

「ええ、はい、それはもうわたしもしょっちゅう」

「ご納得いただけましたら、これから診察がありますので」

「あ、もうちょっと、もひとつ、よろしいですか?」

「どうぞ、手短に、うかがいましょう」

「いま先生がおっしゃった『すみません』と『ありがとう』が同じ意味として日常的に使われるのはよく存じております」

「ほかになにか?」

「ではなぜ妻が先生に『いつも』をつけて、『いつも』というのはしょっちゅう、のべつまくなし、という意味ですよね?」

「まあ、おっしゃてる意味は理解しますが、そこまで言葉にこだわることはないと思いますが」

「先生、本当のことをおっしゃってください。妻とはどんな、なにかただならぬ」

「ちょ、ちょっと待ってください。奥さんとは医者と患者という、ただそれだけで、たまたま駅前でお会いしたときのことをこのような、・・・それに、こんなこと言っちゃあ失礼だが、奥さんおいくつです?」

「83歳になります。とは申しましても、わたしはやはり心配で」

「お仲がよろしくて、うらやましいですなあ。それほど奥さんのことを愛しておられて」

「ところが最近、以前はよく話をしていたんですが、最近めっきり会話も少なくなりましてな。一日中話さないことも珍しくなくなりました」

「それはそれは、お困りですな。なにかお心あたりは?」

「実は、今年からブログを始めました。毎日更新するのが楽しみで休みなく続けております」

「それはお楽しみで。しかし、一日中ブログにかかりっきりというわけでもないでしょう?」

「ええ、ブログは長くても一時間ほどで終わります」

「それでは奥さんとのコミニュケーション、大丈夫ではないですか?」

「ところがどうも、わたしのほうに原因があるのはわかっているんですが」

「なにか?」

「ブログと言いましても文章以外は出来なくて、それだけでやっているんですが、始めましてから妙に単語とか、言葉のひとつひとつに敏感というか神経質というか、それで妻との会話も言葉のひとつひとつが気になりまして」

「なるほど。それで意味がわかりました。わたしがいいお医者さんを紹介しましょう」

「いつも、すみません」