朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

ベランダのすずめ

 ベランダにすずめが来る。朝食用に切ったパンのミミの一部を、細かくちぎって与えたのがそもそもの始まり。この集合住宅の七階に移り住んで十数年になる。パンくずを撒いてやるのはほとんどママン(妻)の役目である。移り住んですぐにすずめとの交流が始まったわけではない、と思うが、詳細は定かではない。時々中断しながら、いまも続いている。時々中断すると書いたが、ほとんどがすずめが落とすフンのせいである。すずめに罪はないが、ベランダを取り仕切っているのはママンである。そういうわけでベランダにエサを求めてやって来るすずめが追い払われても、わたしは口出しを控えている。とはいっても、ママンの怒りにも限界がある。いつしかエサやりが再開されるのは、何度かの経験で、わたしの頭にインプットされている。親子らしいすずめがやってくる。自分でエサをついばむことが出来るようなっていながらも、親がくちばしにくわえるのに気づくと、羽根をバタバタ震わせ素早く寄っていってチュンチュン鳴きながらおねだりをする。「甘えているわ」「そやな」とママンと。年々歳々、軒に巣を作るつばめが、自分が生まれ育った故郷の軒端に戻ってくるのを想像しながら思うのは、この親子のすずめも、はたして何世代目になるのだろうか。エサやりを続けていても、ほとんど馴れるということはない。来ているからとエサを用意して、ベランダと室内を仕切るガラス戸を開けるとすずめは必ず逃げる。ベランダから見下ろす六階の西側部分が住居者のための憩いの場になっていて、花や樹木が植えられている。すずめは、その樹木の一番近いところの枝に羽根を休めて彼らの食事の支度が済むのを待っている。そんななか、物怖じしないのが一羽現れた。朝、目覚めてカーテンを開けると、ガラス戸と二重になっている外側の網戸に両足のツメを立ててへばりつき、なかの様子をうかがう目でこちらを見ている。エサをねだっているのがあきらかにわかる。