朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

声に出して読む『福袋』(角田光代)ー①

  第一話『箱おばさん』ー(1)

 やばい人は二十メートル先にいてもわかるようになった。いくらやばくても、キヨスクや、みどりの窓口に向かっていってくれるならまったくかまわない。それでもときおり、一週間に一、二度の割合で、やばい人はまっすぐこちらに向かってやってくる。一ミリも迷いなく歩いてきて、私の前で立ち止まり、かならずへんなことを言う。生クリームをひとなめさせてほしいとか、ここから一番近い猿屋(猿を売っている店のことらしい)はどこかとか、五千円でかまわないので貸してほしいとか。

 私が働いているのは、駅ビルの地下にある洋菓子屋である。駅と直結しているので、地下ににある改札と私の店は二十メートルほどしか離れていない。改札をくぐり左に曲がると駅ビルの自動ドアがある。入り口には「味の小径」というアーチがかかっていて、その向こうにずらりと食料品店が並んでいる。

 私の働く店は自動ドアのすぐわきにあるから、レジに立っていると、自動ドアのガラス越しに改札もそのわきのキヨスクもすべて視界におさまる。隣は和菓子を売る店で、その隣は肉まんやあんまんを主に売る中華惣菜の店だ。大勢の人が行き来する。買う気がある人もない人も、ずらりと並ぶ食料品店のショーケースを眺めて歩く。十時半から午後七時まで、私は洋菓子屋で働いている。

 その日、改札を出てきたおばさんが、まっしぐらに私の働く店目指して歩いてきた。小柄なおばさんで、ずいぶん大きな段ボール箱を抱えている。そのおばさんがやばい人なのかそうでないのかは、判然としなかった。ふんぞり返るようにして箱を抱えているおばさんを、何人かがふりむいて見ていたが、私の思うやばい人オーラは、発していないように思われた。しかしおばさんは、やばい人がそうするように、まっすぐ、迷いなく私の元に歩いてきた。レジカウンターを挟むようにして立ち、箱を足元に置き、

「あの」

 やけにはっきりした口調で、まっすぐ私を見て言った。

「荷物を」私から目線を外さない。「あの」言葉をまた切る。「すごく悪いと」瞬きひとつしない。「思うんですけど」長い葱をすぱんすぱんと切るようにおばさんは話す。「預かって」じいっと私をのぞきこみ、「もらいたいんです、すぐ戻りますから」ここは一息で言った。

 こちらを凝視するおばさんを、私もじいいっと見つめ返す。やばいかやばくないか。見つめていればその答えがおばさんの顔に炙り出されてくるかのように。

キヨスクの隣に、コインロッカーがありますよ」

 私はできるだけ迷惑そうな声を出して言った。やばくない。とりあえずそう答えは出たんだけれど、しかしこのおばさんがいかようにまともな人であっても、厄介なことは避けたかった。アルバイトに配られるマニュアルにも書いてある。ーー「味の小径」は駅から地上にあがる通路でもあるため、不特定多数の人が行き交います。接客と関係のない頼まれごとはいっさい断るようにしてください。不要なもめごとを起こすおそれがあります。今までの例:後払い、取り置き、両替、金品の貸与、伝言、預かりもの、付け届け、等々。(次回へ続く)