朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

東野英治郎の水戸黄門シリーズを観る-3

「昨日が大友柳太朗、おとといが志村の喬っちゃんやろ。面白かったなあ」

「大友柳太朗いうたら、スターやったもんね」

「ほんまやで。たいがい錦之助とか、千恵蔵右太右衛門なんかの次、準主役やったんやけど『鳳城の花嫁』では主役やったからな」

「おとーさん観たの?」

「観た」

「どこで?」

「いなかの映画館で」

「あったん?」

「あったんて、町にはふたつあったんや。そこでな。初のシネマスコープ総天然色いうんが売りやったんや」

「いまはもう、映画もあかんようになってしもうたな」

「あのころは全盛でな、2本立てが普通、2番館になると3本立てが当たり前やったからな。映画は娯楽の王様で、それだけ観る人が多かったいうことやな」

「子供のころはおとうちゃん、おかあちゃん、おにいちゃんいもうと、家族みんなで月に1回か2回は行ってたけど、いまは年に1回行くか行かんやもんな」

「そうやなあ。テレビで事足りるからな。ちょっと待ってたら観れるからな、テレビで」

「あのころとは様変わりやね」

「映画では出る幕ないもんな、大友柳太朗も。テレビに出んとしゃーない。志村喬もそうやけど。どんな気持ちやろ?」

「なにが?」

東野英治郎いうたら劇団の人やから、当時映画いうたら出稼ぎの場で、そこで貰った出演料を劇団のタシにしてたんやな」

「劇団いうたらお芝居やろ。おとーさんと観に行ったん憶えてるわ。仲代達矢の『どん底』」

「そうそう、もう昔々のお話やな。劇団経営はえらい厳しかったみたいやで。観に来るお客さんの数は限られてるし、というてそないにキップ高うに売るわけにもいかんから名の売れてる人はそのぶん映画に出て帳尻合わしてたいうことやろな」

「ふーん、大変やったんやな」

滝沢修いう人がいてはってな、もう亡くならはって随分になるけど、演劇の世界ではカリスマや。その人でも出稼ぎで日活の裕次郎の映画に出てはったからな。そのころはそんな人とは知らんから、あの人だれや、みたいなもんやったけどな」

「流れやからなあ、世の中の。しゃーないわな、しらんけど」

「テレビの時代になって映画はだんだん左に傾く、映画やったら月形龍之介がやってた水戸黄門をテレビでは東野英治郎がやることになる。同じように映画がありゃ大友柳太朗も志村喬も映画の世界で喰っていけるやろけど、しゃあない、テレビにも出らんと。あのころやったら大友柳太朗最初に名前が出るんやけど、いまは東野英治郎やからな」

「しゃーないやろ。流れやから」

「そやな。流れや。けど大友柳太朗は親の仇を追って日本国中25年、いまだ巡り会えず。ところがストーリーでは、ここがおもろいとこやけど、人違いで黄門さんが仇ということになる。仇を追って国元を出たときに用意した路銀もそこをつき、いまはあれこれ難儀してる人を助けてはいくらかのカネを恵んでもらうという情けない有様。もう仇を捜して歩き回るのも限界。うすうす人違いとはわかっていても黄門さんを仇とみなして討たしてくれと無理難題。ええよええよ、大友柳太朗。けど役とはいえ、昔の栄光いまいずこ。東野英治郎・黄門さんに土下座してあれこれ説諭される心境は、どないもんやろ?」

「またおとーさんのブツブツが始まったな。ちょっと、イズミヤ行ってくるわ」