朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

山本富士子って知ってる?

「ママン、この人だれか知ってるか?」

「知ってるよ。山本富士子やろ?」

「そう、背筋伸ばしてまっすぐ正面向いて、すぐに小津映画のシーンてわかるよな」

「おとーさん、なんていうのこの人、オヅ、なに? ヤスジロウ言うの? この人の映画大好きやからな」

「ええで。全部観たわけやないけど、トシとるごとにだんだんよーなるような気がするな。独特やからな、この人の映画。独特いうても普通なんやで。別にびっくりするようなシーンとか奇をてらうなんてのはどこにもないけど、シーン観ただけでだれの映画かわかるいうんは、そうはいてないからな。この新聞の写真は山本富士子やけど、常連の原節子とか、三宅邦子とか杉村春子とか、ほかにも『東京物語』の東山千栄子なんかいまでもすぐに思い出すな」

「これ、なんという映画?」

「『彼岸花』いう映画やけど、彼岸花の咲いてるシーンてあったかな? わからん」

「どんなこと書いてあんの?」

「これ、読めるやろ?」

「『小津恐れぬ山本富士子。乾いた明るさ精彩放つ』。ほかの女優さん、怖かったんかな? かなわんなあ」

「コワイかどうかは知らんけど、緊張はハンパやなかったんやろな。何冊か本読んだけど、あの映画の画面の中で立ったり座ったりしゃべったり、手をこう動かす、ここからここまでの距離を何歩で歩き、ぴったりここへこの姿勢で止まって、みたいなこと注意されるらしいから、そら、かなわんやろな」

山本富士子はそんなんやなかった、いうこと?」

「うん。そういうこと。これは映画評論家の芝山、ミキオいうんかミキロウいうんか、この人が書いてはるんやけど、読んでみると、おれもこの映画観たとき、後んなってテレビでやけどな、読んでみると、『そやそや』山本富士子そんな感じやったって思い出したんや」 

「他の女優さんはピリピリしてんのやろ。よー平気やったんやな」

山本富士子はこのころ『大映』いう映画会社の専属やったんや。ところがこの映画は『松竹』や。そのころの大映の看板女優いうたら京マチ子とか若尾文子とか、山本富士子もそのひとりやからな。『わたしも大映の看板女優や。なめたらあかんで』、そんなプライドがあったんかもしれんな」

「いま、どないしてはるんやろな。たまァに、コマーシャルで観るけど、いくつなんやろ?」

「これには歳のこと載ってないけど、昭和57、8年ごろ、おれもママンも7つか8つのころや。これ読むと20代後半で『夜の河』とか『夜の蝶』、『氷壁』なんていうヒット作の映画にたて続けに出てる書いてあるんで、おれの歳から計算して、エート、ええもう90歳近いで。なあ、いちばん元気なころやから他社に乗り込んでも怖い物知らず、自信があったんやろな」

「わたしは山本富士子の映画、観たことないわ」

「そのころ子供やったからな、ふたりとも。時代劇なんか長谷川一夫と出てた思うけど、そのころは中村錦之助東千代之介、片岡知恵蔵やとか市川右太衛門東映映画ばっかりやっらからな、観ても。ママンは?」

「わたしはそのころ、映画ほとんど観てないわ。家の近くに芝居小屋があって、そこにときどきおとうちゃんやおかあちゃんに連れて行ってもろたんは憶えてるけど」

「これ、まだ若いやろ? お富士さん」

「若いねえ。おとーさんこの新聞切り抜いてるやん」

「ああ、芝山さんの文章読んでて、気持ちよーになったからな」