朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

五月蝿い(うるさい)

 五月の蝿と書いて「うるさい」と読む。当て字である。こう読むと知っているから読めるのであって、知らなかったらだれが読めるだろう。

 ハエがいなくなって久しい。これがミツバチなどわれわれ人間に役立つ昆虫なら「絶滅危惧種」としてレッドデータブックに登録されヤッキになって増やす方策がとられるのだろうが、ハエやゴキブリはその対極に位置するやつで、考えてみると可哀想に生まれついた生きものということもできる。

 わたしの子供のころの話をすれば、ハエは文字通り「五月蝿い」ほどいた。イナカの百貨店「万屋よろずや)」にはハエ叩きやハエ捕り紙などが常備されていた。

 油断がならないのは食事中だ。ご飯にたかるのを手で払いながらのひとときである。なにを血迷うたか味噌汁のなかに飛び込んで溺れそうになってるやつもいる。箸のさきでつまんで助けてやるとしばらくは飛び立てず、ゆるゆると這いながら一茶の俳句の仕草をしている。ブーンという羽音以外しゃべることの出来ないハエの、命を助けてもらったせめてものお礼の表現かも知れない。

 五月ごろから十月ごろまでの年間の約半分、わたしの一番の楽しみは釣りだった。川でハエ(鮠・ハヤ)を釣る。町に一軒あった釣具屋でエサを買う。母からもらう一日の小遣いが五円。この五円でエサとなるハエの幼虫、ウジ虫が五〇ピキ買える。ハエの幼虫でハエを釣るのである。

 全財産五円がアイスキャンデーに消費される。ハエの成虫の出番である。祖父愛用のハエ叩きを借用する。ところがこんなときに限ってハエの姿が見えない。敏感に殺気を察知してどこかに息をひそめてしまったのか。

 ならばと、空になった徳用マッチ箱の上蓋を外したやつに半分ほど砂を敷いて、釣ったハエの一匹を食用から転用してその砂の上に載せる。ハエにハエを集らせ、幼虫を自家生産するのである。

 日が暮れるのを惜しむように釣りをする。もう浮きが見えない暗さになってやっとあきらめる。餌箱にしているマッチ箱には何匹かの幼虫が残っている。雨が2、3日続いてやっと晴れると勇んで川に行く。赤く濁って増水した川が目の前にある。少なくとも2、3日は無理だろう。諦めて土手を下りる。

 幼虫はどうなってるかとマッチ箱を開けてみる。赤みを帯びた焦げ茶色のサナギが3つほど、開けた拍子にころころと転がる。イッピキはハエになっているが、飛び立ったものか、じっとしたままのほうがいいか、躊躇している。

 唐突にハナシは変わって、七月二一日は参議院選挙の投票日である。昨日観た夜のテレビで与党野党の面々の互いが非難合戦、言葉のつぶてを飛ばしあっている。そんななかふとアタマに浮かんだのが「五月蝿い」である。ハエを見ることが珍しくなった今、五月蝿いからもうハエは退場してもらってもいいのではないか。

 代わりに、与党は野党を、「野党」と書いてウルサイと字を当て、反対に野党は与党を、「与党」と書いてウルサイと当て字する、なんて愚にもならないことを思ったのである。