朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

声に出して読む『ファーブル昆虫記』(幼年時代の思い出)ー2 奥本大三郎訳

 あの日、私はおやつにリンゴをひとつもらって豊かな気分だったし、お手伝いを言いつけられてもいなかったので、手近な丘の頂まで行ってみようと思い立った。それまで、その丘は私にとって世界の涯であったのだ。尾根には木々が立ち並んでおり、風になびいて、今にも自分の根を引き抜いて逃げ出しそうに、腰が折れ曲がったまま揺れていた。

 私の家の小さな窓から、雷雨の日など、これらの木々がお辞儀をしているところを何度見たことであろう。また何度、彼らが、山の斜面に沿って北風が吹き上げては吹き降ろす雪煙のなかで、死にもの狂いにのたうっているのを眺めたことであろう。あそこで、あの悲しそうな木々は何をしているのだろう。

 今日は青い空を背景に静かに立っているかと思うと、明日には雲が通り過ぎるたびに揺れ動いているあのしなやかな幹が、私は気になってしかたがなかった。

 木々が静まりかえっていると私は嬉しく、木々がおびえていると私は悲しかった。彼らは私の友達だったのだ。いつまでも私はこれらの木々を眺めていた。朝になると、まばらに立ち並ぶ木々のカーテンの向こうから陽が出て、光り輝きながら昇っていくのだった。太陽はどこから来るのだろう。あそこまで登ってみよう。そうしたら、きっとそれがわかるにちがいない。

 

 私は斜面を登っていった。そこは羊が草を食い尽くした痩せて野原であった。藪なんかもないから、服に鉤裂きをこしらえて、家に帰ってから叱られることもないだろう。よじ登るのに苦労するような岩もない。ただあちらにもこちらにも平たい大きな石が散らばっているだけだ。何もない草原を真っすぐに進んでいけばそれでいいのだ。だけどこの原っぱは、まるで家の屋根みたいに傾いている。やたら長い、長い道で、それなのに私の脚はとても短いのだ。

 ときどき私は上のほうを眺めてみるのだった。でも自分の友達の、あの丘の頂の木々たちはちっとも近くなったようには見えない。さあ、頑張るんだ! 登りつづけるんだ。

 

 おや、なんだ? 足もとに何かあるな。きれいな一羽の鳥が、大きな平たい石の庇の下の隠れ家から飛んでいったぞ。しめた! 羽毛と細い藁とでできた小鳥の巣じゃないか。

 それは私が初めて見つけた鳥の巣、のちに鳥たちが私にもたらしてくれて数々の喜びの最初のものであった。

 そして、その巣の中には六個の卵が美しく並んでいた。卵は、まるで青空の染料に浸したみたいな、素晴らしい空色をしていた。あまりの嬉しさに、わたしは草っ原に寝そべって、じっと眺めていたのだった。

 そのあいだ母親の鳥はジュクジュクチー、ジュクジュクチーと小さく喉を鳴らしながら心配そうに、邪魔者の私からあまり遠くない石から石へと飛び移っていった。私はまだ小さくて、慈悲心なんかなかった。野蛮で、母親鳥の悲嘆がわからなかったのである。

 いいことを私は思いついた。小さな猛獣の思いつきだーー二週間もしないうちにまたここに来て、、雛たちが巣立つまえに捕まえてやろう。それまではこのきれいな青い卵をひとつ、たったひとつだけ、発見の栄誉の証として取っておこうーー。

 壊してはいけないので、私は掌の窪みに苔を少しばかり敷いてこの脆い卵をその上にそっと置いた。初めて小鳥の巣を見つけた子供のころの喜びを知らぬ者は私に石を投げるがよい。(つづく)