朝ぼらけジジイの寝言つれづれに

夜中に目が覚めて、色々考えることがあります。それを文章にしてみました。

声に出して読む『ファーブル昆虫記』(幼年時代の思い出)ー7 奥本大三郎訳

 幼年時代から、私にとって無上の喜びであったきのこ研究となると、それよりもっと不幸な運命をたどることになるだろう。私は生涯を通じてきのこたちとの付き合いを保ってきた。今もなお、ただきのこたちとの旧交を温めるためにだけ、私は脚を引きずりながら、美しく晴れた秋の午後など、彼らのもとを訪ねるのだ。薔薇色の絨毯のようなヒースの中から、イグチの大きな傘や、ハラタケの柱頭がのぞいていたり、珊瑚の茂みに似たシロソウメンタケが生えていたりする様子を見るのが今でも私は好きなのである。

 

 わが終の棲家たるセリニャンでも、私はきのこに熱中した。セイヨウヒイラギガシやヤマモモモドキ、ローズマリーの茂るこのあたりの丘陵地帯は、それほど、多くのきのこを産するのである。それがあまりに豊富なので、ここ数年というもの、私は途方もないことをくわだてている。それはきのこを正確な絵に描いて蒐集しようというものだ。というのは、きのこは、そのままの状態では標本として保存できないからなのである。

 最大にものから最小のものまで、私はこのあたりのありとあらゆる種類のきのこを、実物大で描き始めている。水彩画の描き方なんか私は知らないけれど、そんなことはどうでもいい。人の描いているのを見たことさえないが、自分で工夫すればやれるようになるであろう。初めは下手でも次には少しましになり、それから上手く描けるようになるものだ。絵筆を執ることは、文章を綴るという日々の苦しみを紛らわせてくれるものでもある。

 

 そして今では、セリニャン近辺のさまざまなきのこ類を実物大に描き、そのとおりに彩色したものを何百枚か所有することになった。私のきのこの絵の蒐集にはそれなりの価値がある。それは、芸術的な表現には欠けているにしても、すくなくとも正確さという長所を有しているはずだ。

 日曜日ともなるとその絵を見に、田舎の人たちが我が家を訪ねてきて、感心して眺めながら、こんな美しい絵が金型もコンパスも使っていない、手描きの作品だというのでびっくり仰天するのだ。それから彼らは描かれているきのこのことをすぐに、これはあれだ、あれはこれだ、と見分ける。そしてそれらのきのこのブロヴァンス名を私に教えてくれる。私の絵が正確であることのいい証拠だ。

 ところで、これだけの苦労を要した大量のきのこの絵の山はいったいどうなってしまうことだろうか。しばらくのあいだはたぶん、私の形見としてとっておかれることであろう。けれどもやがては邪魔になって、この戸棚からあの戸棚へという具合に置き場所を移され、物置から物置へと移動させられたあげくに鼠に囓られ、染みだらけになって、親戚の男の子か誰かに与えられる。そしてその子は折り紙の鶏を折るために四角く切ってしまったりすることだろう。それが世の常というものだ。われわれの幻想がこれ以上はないほどの愛情で慈しんできたものも、現実という鉤爪で引き裂かれてみじめな最期を遂げることになるのである。(終わり)